Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

佐渡裕のブルックナー6番

離れて住む息子が、仕事の都合で行けなくなったからと、音楽会の切符を。
ハイドンブルックナーというプログラムは大好物です。
親子で音楽の好みが似ているねと、うちの人たちにからかわれました。

ハイドン 交響曲第90番
ブルックナー 交響曲第6番
指揮は佐渡裕、演奏は兵庫芸術文化センター管弦楽団

ブルックナーの第6交響曲はふしぎな曲。ブルックナーをなにか一曲聴こうとすると、なぜかいつも後回しになるのに、ちゃんと聴いてみると、まぎれもないブルックナーの世界に浸りきってしまう、そんな曲です。

ハ短調ニ短調など、ずっとフラット系の調で書いてきた作曲家が、イ長調というシャープ系で初めてこの曲を書いたことで、新しい境地が開けたと言えるでしょうか。このあとの7番の交響曲も、まるで6番の続編あるいは夢のつづきかのように、シャープ系です。

余談ですが、同じようにハ短調などフラット系の調が好きだったベートーヴェンが、ピアノソナタ24番の「テレーゼ」で嬰ヘ長調を使ったことで、彼は新しい世界に足を踏み入れて、その後、シャープ系の調で歌う27番や28番や30番のソナタで、さらに未聞の響きを追求することになります。

第6交響曲は、ワーグナーの言葉を借りれば「舞踏の聖化」と言ってもいいくらい、リズムの躍動する音楽でもあります。出だしの弦楽器の、弾むような三連符のリズム、踊りだしたくなるようなスケルツォ楽章。フィナーレの金管のファンファーレも、符点のリズムが印象的。

イ長調という調は人を踊りたい気持ちにさせるのでしょうか。ベートーヴェンの7番やメンデルスゾーンの4番「イタリア」など、リズムの印象的なイ長調の曲を思いうかべます。

佐渡裕氏がプレトークで、ブルックナーという人は大食漢だった、そして女の人のことも大好きだった、と話していましたが、第6の弾むようなリズムの祭典に浸っていると、この人は人生を愛する人だったのだな、と思います。

ブルックナーというと、精神性や宗教性の観点で論じる人がよくいますが、そしてもちろんそういう側面も無視できないと思うけれど、同時に彼は、ワインと美食と女性と踊りが好きな人でもあった。そのような生の謳歌が、この曲から聴き取れるように思います。

マーラー指揮者のイメージだった佐渡裕氏ですが、ブルックナーの人生肯定的なこの曲の魅力を、あらためてはっきりとわからせてくれる演奏でした。特に印象的だったのは、フィナーレの金管の fortississimo のファンファーレでテンポを落とし、マルカートのテヌートで、ひとつひとつの音符を浮き彫りにしたところ。全曲のハイライトはここにあることを教えてくれました。

順序が逆になりましたが、ハイドンの90番も、楽しい演奏でした。フィナーレ楽章のハイドンの悪ふざけは、生演奏だからこそ楽しめるものでした。

兵庫芸術文化センター管弦楽団は初めて聴きましたが、若々しいオーケストラという印象。新しいメンバーが何人か入ったばかりとのことで、アンサンブルがこなれていないような感じもしましたが、若いエネルギーがブルックナーの第6に合っている気がしました。前から3番目の、コントラバスが目の前の席だったので、低音部の豊かさにも魅せられました。