Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

小澤征爾とマーラー

さきごろ亡くなった小澤征爾をしのんでマーラーを聴いていました。

第9番と第10番、10番はアダージョ楽章のみです。ボストン交響楽団との演奏で、1989~90年の録音。

 

東京で学生生活を送っていた1980年代、小澤征爾をよく聴きに行ったものでした。海外のオーケストラは貧乏学生には割高で、聴きに行ったのはもっぱら新日本フィルとの演奏です。

よく覚えているのは、シェーンベルクの「期待」、ベルクの「ヴォツェック」(演奏会形式)、マーラーの9番、メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」など。私にとって小澤さんは、何よりも20世紀音楽の水先案内人でした。彼の遺したレコードのなかで、すりきれるほどいちばんよく聴いたのは、シェーンベルクグレの歌」です。

マーラーの9番は、そのころ住んでいた学生寮の仲間ふたりを誘って、東京文化会館で。そのころ寮でこの曲が流行っていたのでした。

メシアンは、小澤さんの指揮でパリで世界初演したあと、東京カテドラルで、抜粋版を演奏会形式で聴かせてくれました。客席後方のオルガン席のソプラノの天使に向って、半身をねじらせてふりむいてキューを出している姿を、あざやかに覚えています。

まるで体そのものから音楽がきこえてくるかのようなしなやかでリズミカルな体の動き、大きな管弦楽でもすこしも重くならない軽快さ。何十年経っても消えない印象です。

このたび、このCDのマーラー10番のアダージョを聴きなおして、あらためて感じるのはゆったりしたテンポです。たいていは20分から25分でおさまるこの楽章を、30分ちかくかけて、悠々と、ていねいに、歌い上げる。この楽章をほかの指揮者で聴くと、特に真ん中へんの、皮肉交じりのスケルツォ的な楽想のところで、せかせかと早すぎるように感じることが多いのですが、そう感じてしまうのは、小澤さんのこのテンポが、私の中でデフォルトになっているからかもしれない。

打楽器の好きなマーラーなのに、10番のアダージョでは打楽器が一度も鳴らされず、それがこの曲の独特の透明感をもたらしている気がします。あの恐ろしい不協和音、すべての色を重ねて真っ黒になったようなクライマックスの和音のところさえ、どこかに透明ななにかが残っている。ただ、作曲家は未完成のまま世を去ったので、推敲の過程で打楽器が加わっていたかもしれない。

デリック・クックの補筆した完成版を、小澤さんは録音に残さないままでしたが、お考えがあってのことでしょう。ぜひ聴いてみたかったです。

小澤さん、ありがとうございました。安らかに