Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

2022年に読んだ本

2022年の読書メーター
読んだ本の数:128
読んだページ数:41389
ナイス数:5055

蒼穹のかなたに〈1〉―ピコ・デッラ・ミランドラとルネサンスの物語蒼穹のかなたに〈1〉―ピコ・デッラ・ミランドラとルネサンスの物語感想
青年貴族ピコ・デラ・ミランドラの目からみた15世紀末のフィレンツェはなんと光輝と優雅と知的興奮に満ちていたことか。アリストテレスとスコラ哲学に没頭していた彼は、コンスタンチノープル陥落後亡命した文人の齎したプラトン主義、それを奉じて謎めいた秘儀を行うフィチーノに戸惑いを隠せない。しかしそこから両者の融合と止揚を夢見て、真なるものの探求と美なるものへの憧れが両立可能なことを身をもって示そうとする。ボッティチェッリサヴォナローラメディチ家のロレンツォも登場して、未知への予感と崩壊の兆しを孕んだ時代を描く
読了日:12月30日 著者:エティエンヌ バリリエ
生のみ生のままで 下 (集英社文庫)生のみ生のままで 下 (集英社文庫)感想
過度の一般化は避けたいが、異性愛者の結婚と同性愛者のそれは全く違う意味をもつのだろうか。前者がもはや制度疲労を起こして、当事者同士の束縛と抑圧の手段以上でなく、牢獄はては墓場にもなるのに対して、後者は、思った通りに言ったり行動したりすることがためらわれるこの苦しい世の中で、ときには命を賭けてでも自らの生き方を守り貫いてゆくための仲間同士のひそやかな共犯あるいは同盟の意味をもつのかもしれない。私たちが星と同じ材料でできているならば、星から祝福されるだけで十分なのだろう、たとえ誰からも祝福されない結婚でも。
読了日:12月28日 著者:綿矢 りさ
ドン・ジョヴァンニ 音楽的エロスについて (白水Uブックス)ドン・ジョヴァンニ 音楽的エロスについて (白水Uブックス)感想
この歌劇への著者の無条件の高評価は19世紀ロマン主義の思考ゆえだろうか。主人公の英雄性、短調への傾斜など、ロマン派好みの作品かもしれない。たった一人の女性を誘惑したファウストを倫理的人間、何千人もの女性を誘惑したドンジョヴァンニを美的人間とする。反省も倫理も策略も超越したデモーニッシュな力がこの女たらしにはあり、ただ霊的な力(騎士長の石像)のみがその力をねじ伏せる。音楽だけがその媒介なしの直接性によって、この男のエロスを十全に表現すると論ずる。でもやはり男根主義異性愛主義の礼賛でしかないのではないか
読了日:12月27日 著者:ゼーレン キルケゴール
人間ぎらい (新潮文庫)人間ぎらい (新潮文庫)感想
モリエール生誕四百年に。神を冒瀆したドン・ジュアンは地獄に落とされ、思っていることをそのまま口にしたアルセストは指弾される。それでも、読み進めるにつれて、異常な主人公をあざ笑う周囲の人々のほうが、しだいに哀れに思えてくる。神を信じていないのに信じているふりをしたり、思ってもみないことを口にして、陰では正反対のことを言う人々のほうが異常かもしれなくて、彼らが異常とみなされないのは、単に彼らが多数派であるというだけの理由だ。思ったことをそのまま口にすることのできない世の中なんてどこか間違っているよね、と思う。
読了日:12月26日 著者:モリエール
ドン・ジュアン: 石像の宴 (岩波文庫 赤 512-3)ドン・ジュアン: 石像の宴 (岩波文庫 赤 512-3)感想
モリエール生誕四百年に。享楽的で軽薄なモーツァルトのドンジョヴァンニに比べて反抗的・体制批判的なのは、両者を隔てる百年の時間差故だろうか。あからさまな神の冒瀆や婚姻制度の愚弄が当時の観客に与えた衝撃は強烈だっただろうし、何回かの上演の後お蔵入りになったのも、モーツァルトの歌劇が大ヒットしたのと対照的。モリエールが創造したドンヌ・エルヴィールのキャラが謎。ドンジュアンからあれだけつれなくされてもなお追いかける心理が理解できない。多少浮気したくらいでも女はついてくるのだという男の幻想から生れたキャラではないか
読了日:12月24日 著者:モリエール
ケッヘル 下 (文春文庫)ケッヘル 下 (文春文庫)感想
モーツァルトの曲が随所に引用されて、全編に彼の音楽が鳴り響く。ともに旅する音楽家の父による厳しい音楽教育、やがて父への反発から主人公が自分の音楽を見出してゆく過程は、レオポルトとヴォルフガング父子の生涯をなぞっているかのようだ。モーツァルトの音楽を愛する音楽学生どうしの切磋琢磨、そこから生れる愛憎が、一人の女性の人生を破滅させ、さらに陰惨な復讐劇を引き起こす成りゆきから、最後に謎が明かされるシャルトル大聖堂の場面まで一気に読ませる。音楽を愛することと、人間を愛することの深さと残酷さについて考えさせられる
読了日:12月20日 著者:中山 可穂
カルチェ・ラタン (集英社文庫)カルチェ・ラタン (集英社文庫)感想
ザビエルとロヨラカルヴァンが一堂に会して議論を交わす場面はむろん虚構だとしても、同じ時期にセーヌ左岸で学んだ仲間同士、すれ違ったことぐらいはあるはずで、この時期のこの場所が新しい宗教思想運動の胚胎する土壌だったのは間違いない。折しも檄文事件で新教への弾圧が激化しつつあり、カトリック内部でも新教寄りの思想をもつものも現れ、誕生直後でまだ胡散臭い目で見られていたイエズス会もその一つで、彼らに共通するのはカトリックの旧弊への批判だった。教会に屯する売春婦や彼女らとの情交にうつつを抜かす神父らの描写が冴える
読了日:12月17日 著者:佐藤 賢一
向日性植物向日性植物感想
生きるには醜悪すぎるが、死ぬには美しすぎるこの世界で生き延びるために、小さな希望の光を求める向日性植物のような女性たちの物語は、卒業式で第二ボタンをやり取りして終りの一過性の熱病ではなく、大学のレズビアンサークルやパレードへの参加を通じて深められ、別れと再会を繰り返しつつ更新されてゆく。プールで制服がびしょ濡れになったときに先輩の制服を借りて彼女の匂いに包まれる場面が印象的。日本と台湾のレズビアン文学に精通した訳者の解説はすぐれた比較文学論になっている。この世界の本質に適合しない、それでも生きる決意の潔さ
読了日:12月16日 著者:李 屏瑤
パリの憂愁パリの憂愁感想
山田兼士氏の訃報を聞き、彼の訳したボードレールで追悼。それぞれの詩に付された解説それ自体がすぐれた詩人論になっている。たとえばバッカスの杖に指揮棒を譬え、そこに絡みつく蔓に紡がれる音楽を譬えてリストの音楽を称えた詩の、ほめ殺しのような皮肉な調子から、バッカスの乙女に撲殺されたオルフェウスの伝説に言及、芸術の神の死からリストの芸術の終焉を予告したという指摘は、深読みにしても鋭いと思う。確かに、詩人の時代は神々や英雄の活躍するワーグナーヴェルディから小市民の哀歓を描くプッチーニやベルクへの過渡期だった。
読了日:12月10日 著者:シャルル・ボードレール
欲望という名の電車 (新潮文庫)欲望という名の電車 (新潮文庫)感想
居候の義姉を邪魔者扱いする粗野で下品なスタンリーが胸糞悪くて、ついブランチに同情したくなるのだけれど、彼女もまた彼のことをポーランド野郎と侮蔑していて、先住のフランス系からの上から目線が嫌味たらしい。もちろん黒人もインディアンも眼中にないのだろう。それでも、過去の行いを暴かれて破滅してゆくブランチには、その行いが伝聞のみで現実性を欠くだけになおさら、そぞろ哀れを催す。過去から自由に生きるために新天地に来ても、過去は容赦なく彼女を追いかけてくる。安心しなさい、あなたの罪は赦されたと言ってくれる人はいないのか
読了日:12月06日 著者:テネシー ウィリアムズ
イオカステの揺籃 (単行本)イオカステの揺籃 (単行本)感想
主役をオイディプスからイオカステに移し、父殺しの神託を毒親の呪いと読み替えた著者の創意が、ソポクレスの劇に思いがけない現代性を与えた。母親から人間性を繰返し否定されて育った女性が、呪いから逃れるために子どもを閉じ込めてもそれは逆効果の悲劇を生むだけだ。鍵を開けて空気を入れ替える鍵屋の羽田完青年の登場が彼女の呪いを解くきっかけになったとも言える。呪いから逃げても無駄で、呪いを解かねばならないのだろう。あなたは何も悪くないという一言を聞くまでに耐えなければならなかった主人公の深い淵のような歳月を思うだに苦しい
読了日:12月05日 著者:遠田 潤子
だから荒野だから荒野感想
家出と出家はどう違うのだろう。車やお金があるうちは家出と言えず、それらを少しずつ失いながら長崎を目指す主人公の道程は巡礼にも似ていて、もはや宗教を失った我々の出家がありうるとすればこのようなものかもしれない。終着点の長崎で出会う山岡老人の、あえて荒野にとどまり死者の声を聞きつづける覚悟は、ほとんど宗教者のそれに近づく。最終的に主人公は荒野から引き返すわけだけれども、心のどこかに荒野的なものを想像して生きていくことへの誘いを、あの大震災の翌年に発表されたこの物語は、投げかけているのではなかろうか。
読了日:11月24日 著者:桐野 夏生
シラノ・ド・ベルジュラック (岩波文庫)シラノ・ド・ベルジュラック (岩波文庫)感想
クリスチャンのようにただ美男であるだけでは足りず、シラノのような言語の洗練が求められるのは17世紀フランスのプレシオジテpréciosité の文化が背景にあり、女性を口説くのに和歌の作法が必須だった平安文化と似ていなくもない。実際シラノの比喩と典故を駆使した華麗な言葉づかいは圧倒的なのだが、終幕でロクサーヌがシラノの14年越しの思いに気づくのは言葉であるよりも彼の〈声〉によってだった。容貌は衰え、言葉は陳腐になっても、声は、その人の魂のありようを、もっと身に沁みいるようなやり方で、伝えるものなのだろう。
読了日:11月21日 著者:エドモン・ロスタン
ラフマニノフ―明らかになる素顔 (ユーラシア・ブックレット)ラフマニノフ―明らかになる素顔 (ユーラシア・ブックレット)感想
第1交響曲初演の大失敗とその後の神経衰弱という、伝記に必ず出てくる挿話について、確かにこの時期作曲はしていないが、演奏活動は活発で、初演を指揮したグラズノフともその後も親しく交わっていることなどを挙げて反論しているところが面白い。傷つきやすく神経質で憂鬱というロマン主義好みの芸術家像ほど彼の実像と遠いものはないのかもしれない。実際、たとえば第2交響曲の終楽章のように、喜びを爆発させるような明るい面もこの作曲家にはあった。オペラ指揮者としても有能だったのも初めて知る。ピアノの名手にとどまらない幅広い芸術家
読了日:11月19日 著者:一柳 富美子
ジェイン・エア 下巻 (岩波文庫 赤 232-2)ジェイン・エア 下巻 (岩波文庫 赤 232-2)感想
私は美男子かと訊かれて否と言い、美は重要ではないと答える主人公自身も「美しくない」と描写され、他方ではイングラム嬢のうわべだけの魅力やセント・ジョンの美男子でも愛に欠けた人間性は否定されて、その意味で反ルッキズム小説といえようか。外面の美ではなく心の純粋さに惹かれる主人公は、大切な人が片手を喪って盲目になってもその人を愛するのをやめる理由にはならなかったのと同時に、見せかけだけの偽善や金持ちの人々の虚栄に対しては遠慮なく批判する。信念に逆らうよりは無一物で荒野をさまようのも厭わない意志の強さが印象的だった
読了日:11月19日 著者:シャーロット・ブロンテ
花伽藍 (角川文庫)花伽藍 (角川文庫)感想
何の予備知識もなくタイトルに惹かれて読んだ表題作がたいそう良くて、ほかの短編も同じくらいに印象深く、どれが一番と決められないくらい。恋人の体液を絵具に混ぜて恋人の肖像画を描く美術教師のエロスの深さと強さに圧倒された「燦雨」の最後の三行に涙ぐむ。永遠の愛などもはや信じていない私でも一瞬そのようなものを信じたくなった。たまたま女性同性愛の話ばかりなのだが、恋愛をめぐる相手との非対称性と孤独感とそれにもかかわらず相手を求めずにはいられない苦しさは、ヘテロでない性愛の場合いっそう深いのかもしれない。
読了日:11月17日 著者:中山 可穂
共犯者共犯者感想
ロリータが夭折せず生き延びたとしたらこのような苦しい物語になっただろうか。原題Chavirerは転覆することで、少女期の事件で転覆させられたまま五十前の今もなお起き上がれない。反教養小説と言えばいいか、試練を通じて予定調和的に成長するのではなく、思春期の入り口で負った傷に生涯苦しみ、そこから抜け出せない。事件の詳細は最後の最後まで伏せられ、その核心をめぐってぐるぐる歩き回るような文体が、傷口に蓋をしようとしても血が噴き出し、しかもそれを誰にも明かせない主人公の苦悩をそのまま表しているように思われた。
読了日:11月15日 著者:ローラ ラフォン
アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯 (岩波文庫)アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯 (岩波文庫)感想
広州コミューンのことは初めて知った。レーニンの死後、世界革命をあきらめたスターリンが一国社会主義論を立ち上げていた折も折、中国には朝鮮・台湾・ベトナムの革命家が集まって、地主を殺して民衆の共同体を作る動きが最高潮に達していた。その革命で中心的役割を果たした革命家に、アメリカ人女性ジャーナリストがインタビューする本書は、抑圧の植民地朝鮮を脱出して革命運動に身を捧げる一人の若者の知性と夢と挫折をつぶさに描く。革命のためには恋愛を諦めると言いつつ、同志のすてきな女性に不可避的に惹かれてゆく様子がほほえましい
読了日:11月12日 著者:ニム ウェールズ,キム サン
娘について (となりの国のものがたり2)娘について (となりの国のものがたり2)感想
同性愛の当事者ではなくその母の視点からの物語は初めて。訳あって同居することになった、語り手の娘とその恋人のことを、彼女は到底理解できず、面と向かって二人の恋愛を否定するのだが、困憊して帰った語り手に娘の恋人が食事を作って勧め、語り手もまた彼女の傷を負った体に湿布を当ててやる場面は不思議な温かさが満ちる。理解しようとしてくれなくていいと彼女らは言う。そう、人の理解の範囲など知れている。理解したつもりで理解してないこともよくある。理解できなくても受け容れるために、彼女らの生き方を認めるために、何ができるだろう
読了日:11月12日 著者:キム・ヘジン
レベッカレベッカ感想
日の名残り』『ブライズヘッドふたたび』とともに「衰亡する大邸宅の物語」と名づけられようか。1930年代の不穏な国際情勢は、いまだ遠い雷のように仄聞されるにすぎないとはいえ、花々の咲き乱れる庭や閑雅なお茶の時間を描写する行間のあちこちには滅亡の予感が漂う。上流階級の優雅と逸楽を一身に体現したかのようなレベッカが死んだ今、彼女の残り香が至る所に残るマンダレーの邸そのものもまた、廃墟となる運命にあり、仮装舞踏会は、滅びるまえの最後の輝きだった。もはや夢の中でしか存在しない時代への哀惜をこめた訣別の物語である。
読了日:11月11日 著者:ダフネ デュ・モーリア
大尉の娘 (光文社古典新訳文庫)大尉の娘 (光文社古典新訳文庫)感想
大尉の娘と貴族のボンボンのロマンスは月並みでご都合主義なのだけれど、眼目はむしろ、若い貴族の息子のロシアの辺境での異文化・異民族との出会いの衝撃であり、亡きピョートル帝の生れ変りを僭称する叛徒プガチョフを救世主のように迎える農民たちの素朴さと帝政への敵意であり、帝政への忠誠を誓ったはずの主人公が、いつの間にかプガチョフの人間性に触れて、不倶戴天の敵同士のはずなのに、次第に心を通わせていく過程なのだった。ロシアに争いはもうたくさんですという著者の魂の叫びは今のロシアの為政者の耳についに届かないのだろうか
読了日:11月09日 著者:プーシキン
みつばちの平和 他一篇 (ルリユール叢書)みつばちの平和 他一篇 (ルリユール叢書)感想
男は破壊するばかりで暴力しか知らず、後片付けはいつも女の役目だ。スペイン内戦の時代、迫りくる世界戦争を予感しつつ『みつばちの平和』を書く著者の念頭には、ペロポネソス戦争を止めるために女性たちがセックスストライキをするアリストパネスの『女の平和』があったのだろう。みつばちが、生殖のためだけに雄蜂を必要とし、用済みになった雄は直ちに死ぬことによって巣の平和を保つように、平和を保つために男に反抗しようと呼びかける。女が家事をボイコットして男たちがアイロンをかけ始めれば世界も変わるだろうか。
読了日:11月04日 著者:アリス・リヴァ
キャロル (河出文庫)キャロル (河出文庫)感想
ロードノベルでは運転者が主導権をもって行き先を決める。たとえばロリータではハンドルを握るのは終始男だ。しかしこの物語では二人の女性が交代で運転し、行き先も相談して決めるところが、二人の関係性を象徴しているように思われた。成熟したキャロルに比べて若くて不完全なテレーズが、時に気後れしつつも自己主張して、やがてキャロルからも信頼されるようになる過程が胸を打つ。子を産むことにつながる以外の性行為を全て貶めようとする男たちの価値観に厳しく異議を唱えるキャロルの手紙は、発表当時だけでなく今も多くの人を励ます力がある
読了日:11月03日 著者:パトリシア ハイスミス
日輪の翼 (河出文庫)日輪の翼 (河出文庫)感想
傑作の誉れ高いが、どこがいいのかよくわからない。魚の匂いの残る冷凍トレーラーで旅するなんて考えただけで車酔いしそう。オバが七人もいるとキャラ立ちしなくて誰が誰かわからない。ツヨシという若い男がなんかかっこいいように書かれているけど、女を遊郭に売った金を自分のものにするところなど、控えめに言って糞。最終目的地が皇居で、二重橋のところに正座して天子様を拝むなんてどうかしてる。彼女らの信仰心は熊野の土俗的な民間信仰に由来するのだろうけれど、それがどうして天皇と結びついてしまうのだろう。
読了日:11月02日 著者:中上 健次
燕は戻ってこない燕は戻ってこない感想
代理母とその依頼者とその親友の三人の会話、意見が合わないちぐはぐなやりとりで放送禁止用語連発なのに、伝わってくるのはシスターフッドと呼ぶしかないような奇妙な連帯感だ。共通の敵として名指されるのは父性という名の傲慢であり、自分の遺伝子を残すことにこだわるナルシシズムである。子を産む機械にされた代理母が、それを逆手にとってしだいに自由にふるまい始めて、依頼者を翻弄させる過程が痛快だった。最後の一頁で予想もしなかったエンディング。糞みたいな世の中だけど、女同士で生きていこうね、という力強いメッセージが心に残る
読了日:10月31日 著者:桐野 夏生
こわれがめ 喜劇 (AKIRA ICHIKAWA COLLECTION)こわれがめ 喜劇 (AKIRA ICHIKAWA COLLECTION)感想
「聖ドミンゴ島の婚約」などの小説でも明らかなこの著者の持ち味は、終幕に向けてたたみかけるような劇的緊迫で、それは小説よりもこのような劇においてよりはっきりと示されている。オイディプスの物語を喜劇仕立てに語りなおす趣向は気が利いていて、支配階級への皮肉や徴兵制への批判も容赦ない。中盤から誰が犯人なのかは予想がつくのだけれど、それでも劇的緊張にはゆるみがない。オイディプスは最後に自ら目を突くという形で落とし前をつけるが、それと対照的なこの主人公のなりゆきが印象的。原文を右に、和訳を左に配した対訳と詳しい解説。
読了日:10月31日 著者:ハインリヒ・フォン クライスト
岬 (文春文庫 な 4-1)岬 (文春文庫 な 4-1)感想
母は明証的だが父は不確かであり、あえて言えば虚構で、信じるしかない何かである。秋幸の実の父の男性性が虚勢にしか見えないのは、不確かな父性を確かなものであるかのように見せているから。秋幸の言う「まっとうな生」とは、たとえばシャベルですくう土のような明証性で、それ以外はそぎ落とすべき余計なものにすぎない。父でない人を父と呼び、実の父を父と呼べないならば、父などいらない。彼が長い間女を避けていたのは、父になることへの恐れゆえなのだろうし、異母妹と交わるのも、父なるものへの反抗と言えるのではなかろうか。
読了日:10月02日 著者:中上 健次
枯木灘 (河出文庫)枯木灘 (河出文庫)感想
鳳仙花の後で読むと否応なしにフサの視点になり、あれからいろいろあって、辛いという言葉では言い尽くせない辛いこともあったけれど、子どもたちとその家族全員集合しての美智子のにぎやかな結婚式での彼女はやはり幸せといえば語弊があっても何か人生への諦観あるいは余裕のようなものが見えて、それゆえにそのあとの秋幸の仕出かした事件に、夫の繁蔵があれほどあたふたしているのに、むしろ泰然として、そういう境遇の自分をどこかで客観視しているような部分もあり、「生きとったらいつかは死ぬわな」のひとことがじんわりと沁みる。
読了日:09月30日 著者:中上 健次
若草物語 (光文社古典新訳文庫)若草物語 (光文社古典新訳文庫)感想
父性あるいは男性性の不在の物語だった。四姉妹の父は従軍、隣家のローリーにも父はいない。ローリー少年が四姉妹としだいに仲良くなる過程も、異性愛要素はあまりなく、女の子の遊びに混ぜてもらう様子は、いい意味で男らしくないのがほほえましい。出版社の要請で書き加えられた最後の2章でようやく父が帰還し、メグの結婚話が持ち上がる。逆に言えば、父の登場や婚姻は、著者の当初の計画にはなかったことになる。男がいなくても、女たちで自立・自律して生きていける、むしろ男がいない方が、みんなのびのびと自由に呼吸できるのかもしれない。
読了日:09月25日 著者:ルイーザ・メイ オルコット
中上健次 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集23)中上健次 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集23)感想
男にしておくにはもったいないほどの男振りということばが心に残る。海と山に挟まれて、海の水と川の水のまじりあい、山の木々のざわめく音も潮鳴りも聞こえるこの土地で、死と生は限りなく近く、そのあわいを縫い合わせるようにホトトギスが鳴く。夏芙蓉の匂いのする男たちは土地の化身かに思えて、死んで流す血はそのまま土地に還る。少女のフサが異父兄吉広と夜の海を泳ぐ場面が美しく、二人の愛は性愛に限りなく近づき、物語の最後で彼女が彼からもらった和櫛を水の中に失うのは、まるで吉広そのものを完全に失ったかのように切ない余韻を残す
読了日:09月21日 著者:中上 健次
時間 (岩波現代文庫)時間 (岩波現代文庫)感想
「士者不武」という言葉をめぐる日本人将校と中国人官吏の会話で、士に攻撃性を見る前者と、そこに防禦を見る後者の違いが歴然とする。老子の「兵は不祥の器」の考えを受け継ぎ、武力を最小限の必要悪としてきた中国の知識人階級の考え方は、南京陥落のときにあえて抵抗せず、家の戸を開けていた主人公の行動にも表れる。しかしそれはなんと大きな犠牲を強いたことだろう。流血と強姦と虐殺の嵐で大切な人すべてを失う彼は、しかし最後まで精神の自由を失わない。時間に流されつつ、しかし時間を超えて生き続ける何かを最後まで信じることの尊さ。
読了日:09月19日 著者:堀田 善衞
新訳 オセロー (角川文庫)新訳 オセロー (角川文庫)感想
浮気を疑われて夫から平手打ちにされたあとの、デズデモーナとエミーリアの会話で、全世界が手に入っても浮気はしないという前者と、それが手に入るならしてもいいという後者の対照が面白い。聖書の荒野のイエスの、悪魔にひざまずいて全世界を手に入れる誘惑を連想。あくまでも清廉なデズデモーナと違って、女にも男と同様に弱さがあり、遊びたい気持ちがあると女性の欲望を肯定するエミーリアに、フェミニスト的な現代性を見出す。その彼女が終幕で、糞のようなイアーゴーとオセローを、口を極めて罵り倒す場面は、胸がすくようなカタルシスだった
読了日:09月12日 著者:シェイクスピア
明るい部屋―写真についての覚書明るい部屋―写真についての覚書感想
絵画では作者が隅々まで支配するのに対して写真は、写り込みなど撮る者の意図しない偶然の介入が不可避なために、写真家の手を離れる。著者の言う「作者の死」は文学だけでなく写真にも適用される。Punctum を写真家の意図しない裂け目とすれば、それによって写真は複数の焦点をもつ多声的なものとなる。一枚の写真のどこに裂け目を見出すか、あるいは見出さないかは、見る者次第で変わるだろう。それゆえ、写真を見る行為は極めて個人的で、後半で著者が個人の思い出を語るのには必然性があるし、目を閉じたときにこそ写真はよく見えてくる
読了日:09月11日 著者:ロラン バルト
増補 聖なるロシアを求めて―旧教徒のユートピア伝説 (平凡社ライブラリー)増補 聖なるロシアを求めて―旧教徒のユートピア伝説 (平凡社ライブラリー)感想
異教徒の迫害から守るために、神が町を丸ごと湖の下に隠して、そこに行くと今でも鐘の音が聞えるという伝説が好きだった。ドビュッシーの「沈める寺」は不信心な街が沈められた伝説だったが、こちらは信心ゆえに救われた町。ピョートル大帝とニーコン主教によるロシア正教の西欧化の動きを反キリスト的だと批判して、頑固に古いしきたりを守る旧教徒にとってはこの世は苦く、居場所はなく、湖に隠してもらうのでなければ、戦争も税金もない理想郷を求めてさまようほかなかった。極東のサハリンや函館にまで及ぶ彼らの足跡に、ゆるぎない信仰を見る
読了日:09月10日 著者:中村 喜和
ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命感想
何よりも豊富な図版が魅力で、それだけで楽しい。アヴァンギャルドの前夜の世紀末から、以後の社会主義リアリズムまでカバーしていて、その間の連続と不連続が自ずから明らかになる。シャガールカンディンスキーなど西に脱出した人々だけでなく、ソ連にとどまり体制に睨まれながら活動を続けた芸術家にスポットを当てる。革命1周年のメーデーを前衛の最先端のような絵画が飾っている写真が興味深く、少なくとも初期は芸術と政治の共存があったことを示す。社会主義リアリズム=退屈と思いこんでいたが、なかなかどうして魅力的な作品も少なくない
読了日:09月05日 著者:ヴィーリ ミリマノフ
ナターシャの踊り(上):ロシア文化史ナターシャの踊り(上):ロシア文化史感想
西欧に憧れるペテルブルクと、古き良きロシアに向いたモスクワとの対比が興味深い。どちらを欠いても今のロシアはなかっただろう。しかし1812年のナポレオン侵攻や1825年のデカブリストの乱などを契機として、前者から後者に重心が移動したことで、ロシア人は自らの内なる民衆性あるいは土壌性に目覚めることになる。ストラヴィンスキーがグースリを奏でながら民謡を歌う農民の横でその歌を熱心に楽譜に書き留める写真、傍らには彼の母が彼の子を抱いている、巻末にあるこの一枚の写真が、ロシアの近代を如実に物語っているように思えた。
読了日:09月04日 著者:オーランドー・ファイジズ
むずかしい女性が変えてきた――あたらしいフェミニズム史むずかしい女性が変えてきた――あたらしいフェミニズム史感想
複雑にもつれた糸をばっさりと単純化したくなる誘惑に抗って、少しずつ解きほぐすような書き方が魅力的だった。むずかしいというより、関西弁でいう「ややこしい」のほうが近い。当たり前の前提とされている家父長的な現実に異議を唱える女性たちを、著者はいたずらに神格化しない。彼女ら自身にも長所と短所があり、誤解され仲間割れする。しかし、女性参政権のために暴力を行使したり牢獄で命がけの絶食をしたりする彼女らの苦闘がなければ、壁が打ち破られることはなかった。英国での事例が中心だが、日本の医大入試での女子減点などにも言及。
読了日:09月03日 著者:ヘレン・ルイス
ロシア正教の千年 (講談社学術文庫)ロシア正教の千年 (講談社学術文庫)感想
普遍性と理性とラテン語によるカトリックと違って、民族性と感情とロシア語によるロシア正教は、民衆の心の奥底に響く何かを持っていたために、度重なる弾圧にも屈せずに生き抜いてきた。ソビエトの非人道的な迫害を毅然として批判したチーホン総主教のような政府批判の一方、独ソ戦では民族感情に訴えて戦意を鼓舞し、結果的に政府に利用されることになる正教会の、国家との距離の取り方は、安易な単純化を許さない。チェルノブイリの事故をきっかけに信者が増えた事実は、依然としてこの宗教が人々の心の拠り所であり続けていることを示す。
読了日:08月25日 著者:廣岡 正久
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣感想
世界の現状を問うクイズの正答率をチンパンジーと比べられて君の知能はサルに劣ると言われているようで、冗談のつもりだろうがあまり面白くない。少しずつでも世界は良くなっているという事例に自然災害の減少を挙げるのは不適切。たまたまここ数十年で減少しているだけだ。識字率や貧困と違って、人の力では抑えられないのが天災で、どれほど文明化された都市も火山の噴火一つで灰燼に帰するのが人間の文明のはかなさ。啓蒙思想家のような楽天的な進歩思想に、ちょっとついていけなかった。福島の放射線被害も過小評価している気がする。
読了日:08月21日 著者:ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
白い花という名の巫堂 太白山脈 (1) (太白山脈)白い花という名の巫堂 太白山脈 (1) (太白山脈)感想
人間のためのイデオロギーであったはずなのに、いつのまにか人間がイデオロギーのための道具になるとき、不毛な殺し合いが始まる。日本の敗戦による解放後朝鮮戦争にいたる時代は、この半島で共産主義反共主義が血で血を洗う争いを繰り広げた。登場人物でただ一人この争いの不毛を悟っている金範佑からすれば、どちらにも味方できないのだが、状況はそのような中立を許さない。悪者探しはしたくないけれども、もしも日本による植民地化がなければ、とつい思ってしまう。韓国でベストセラーになっただけあって文章は読みやすいが内容は暗澹。
読了日:08月20日 著者:趙 廷來
春のこわいもの春のこわいもの感想
文章そのもののもつ力で読むものを拉し去る著者の文体はこの短編集でも健在で、さらにここでは死期の近づいた老婦人や男子高校生の語りや二人称の文体など、より多様な声が倍音を響かせている。一番の好みは「ブルー・インク」。失くした言葉を探して夜の学校に忍びこむ男女二人、そこで変死した生徒の伝説、青いインクを流したような闇に浮かび上がる教室、彼女にかけようとしてかけられなかった言葉、読むはずなのに読まなかった言葉。閉じ込められて出られない闇が現実で白昼の明るさが夢であるかのように、白昼の中にはもはや彼女はいない。
読了日:08月19日 著者:川上 未映子
ロシア・アヴァンギャルドの宇宙論的音楽論: 言語・美術・音楽をつらぬく四次元思想ロシア・アヴァンギャルドの宇宙論的音楽論: 言語・美術・音楽をつらぬく四次元思想感想
ストラヴィンスキーとルリエArthur Louriéが日本の和歌や俳句につけた歌曲の譜例つきの分析が面白かった。西欧のジャポニスムが主に絵画に限られ、装飾的な役割以上でなかった(と言えば言い過ぎか)のに対し、もとの詩の韻律を尊重しつつ独特の和音と旋律で表現する彼らの音楽は、非西欧という点で西欧より日本の芸術の中に、伝統的な機能和声や遠近法を超えた本当に新しい芸術の可能性を見出していたことを示しているように思われる。革命前後の不穏な時代に、政治だけでなく芸術においても、未知への冒険がなされつつあったのだ。
読了日:08月18日 著者:高橋 健一郎
城の中の城城の中の城感想
富裕階級で偉大な文学と古典音楽と上品な友人に囲まれる桂子さんが暮すのは他者性の排除という名の城で、新約聖書の粗野な文体は彼女の趣味と相容れない。確かに日本語訳聖書の訳文は読むにたえないほどだが、訳者のせいだけでなく、原文の多くがギリシャ母語話者でない著者の筆になることも思い出したい。複数の言語と文明が交錯し、否応なしに他者性を意識させられる古代中東世界で、母語でない言葉で言いよどみ言い間違いつつ言葉を紡いでいった彼らの苦闘は桂子さんには無縁だった。日用の糧に困らない優雅な人々に宗教が理解できるはずもない
読了日:08月17日 著者:倉橋 由美子
夢の浮橋 (中公文庫 く 3-2)夢の浮橋 (中公文庫 く 3-2)感想
主人公の桂子が卒論に選んだJ・オースティンが、同時代の米国独立戦争フランス革命に著作の中で一切触れなかったように、彼女自身もまた、同時代の70年安保に関わろうとせず、超然と日常を過ごす様子が、逆に革命的に思われた。型にはまったスローガンを連呼することしか知らない左翼学生の児戯のような革命運動よりも、一夫一婦制や近親婚タブーを柔らかく乗り越える主人公とその周辺の人物のささやかな冒険が夢への架橋となる。ニル・アドミラリの植物の心で見れば、喧騒も動乱も移ろう季節の盛衰と変わらないと考える桂子の立ち姿があざやか
読了日:08月13日 著者:倉橋 由美子
回想のフォーレ―ピアノ曲をめぐって回想のフォーレ―ピアノ曲をめぐって感想
伯爵邸での夕べ、音楽好きの仲間(そこには著者の未来の夫も)が集まった中に新進のピアニストの著者が登場してピアノを弾く。まるでプルーストの小説の情景のような書き出しは、フォーレの音楽がいかなる場で生まれたかを自ずから明らかにする。電気的再生装置もなく海を越えた楽旅もない時代の、気心の知れた仲間の集うサロンの親密な空間で、不特定多数ではなく特定の大切な人々に宛てられた手紙のようなもの、それがフォーレの音楽。親子ほど年の離れた老境の作曲家と著者の幸福な出会いの回想とピアノ曲の詳細な分析は作曲家への愛に満ちている
読了日:08月09日 著者:マルグリット ロン
逆遠近法の詩学―芸術・言語論集 (叢書・二十世紀ロシア文化史再考)逆遠近法の詩学―芸術・言語論集 (叢書・二十世紀ロシア文化史再考)感想
パムク『私の名は赤』の、イタリアルネサンスの遠近法に抵抗しつつ描く画家たちの群像を読んだあとで、著者の遠近法否定はすっと腑に落ちた。視点を固定せず、動的に対象と対峙するときに、認識するものとされるものとのあいだの本当の意味での結婚が成就するのだろう。その言語論で、言葉を種あるいは精液になぞらえているところも示唆的で、ヨハネ伝冒頭の、言葉は肉体となったという聖句の最良の解釈のように思われた。世界が常に更新されてゆくのならば、体の細胞が日々生き返るのと同じように言葉もまた日々新たにされてゆくべきものなのだろう
読了日:08月05日 著者:フロレンスキイ
水子供養 商品としての儀式――近代日本のジェンダー/セクシュアリティと宗教水子供養 商品としての儀式――近代日本のジェンダー/セクシュアリティと宗教感想
原題「日本における祟る胎児の商品化」が生々しい。人工妊娠中絶が普及し、超音波が胎児の姿を可視化するのと時を同じくして、胎児は母体と別の人格をもつとする胎児中心主義 feto-centrismの流行とともに、死んだ胎児や幼児を正しく供養しなければ祟るとして、水子供養で金を儲ける宗教者たちが現れる。それはちょうど、既成宗教が力を失い、新興宗教やオカルトブームが隆盛した時代でもあった。妊娠の当事者の一方である男性の責任を問わずに、もっぱら女性の「無分別」をスティグマ化する考えは、水子供養が下火になった今も根強い
読了日:07月24日 著者:ヘレン・ハーデカー
正欲正欲感想
正しい性欲や間違った性欲などあるのだろうか。涙と同様に、抑えようとしてもひとりでに出てくるものが性欲で、そこにいいも悪いもない。聖書は、情欲をもって女を見る者はすでに姦淫していると説くが、そうではないと思う。水や窒息や緊縛や幼児など、性的対象がどれほど異性愛規範の目から見て奇異に見えようとも、そう感じてしまう人の存在を否定することはできない。欲望をもつことと具体的な行動に移すことの間には天地ほどの懸隔がある。異性愛者は多数派故に自らの規範から外れた性愛を否定し侮蔑するが、彼らにそんな資格はあるのだろうか。
読了日:07月20日 著者:朝井 リョウ
クセナキスは語る ―いつも移民として生きてきた―クセナキスは語る ―いつも移民として生きてきた―感想
作曲家は、人はつねに移民の意識をもつべきだという。私自身は移民ではないが、「移民でない人は移民であるかのように」生きることはできるだろう。永遠に続く国などなく、いつ移民になってもおかしくないのだから。あらゆる判断基準から自由であろうとすること、思い出や記憶に左右されずに、つねに新鮮な目でものをみようとすること、まったく未知の言語を学んだ時に、一語も理解できない状態から、手探りで、まちがえながら、すこしずつ理解するようにして世界を理解しようと努めること、そのときはじめて、人は創造的になれるのかもしれない。
読了日:07月07日 著者:フランソワ・ドゥラランド
ヴェールを被ったアンティゴネ―ヴェールを被ったアンティゴネ―感想
被る女性の数だけヴェールがあり、ある人には隷属の象徴でも、別の人にはポジティブな自己表現になる( black や queer など支配層から捺された烙印を、黒人や性的少数者が肯定的に使うように)。それならばヴェールそれ自体が開かれた問いとなり、答えを探りつつ道を見つけなければならない。しかし法律は始めから答えがあって、ヴェールすなわち退学処分以外にない。ソポクレスの原作を彷彿させるアイシャと校長の息詰まるやり取りが圧巻だった。原作と違って彼女に共感と応援が集まり、生徒が授業をボイコットする展開も興味深い
読了日:07月05日 著者:フランソワ・オスト
進駐軍向け特殊慰安所RAA (ちくま新書)進駐軍向け特殊慰安所RAA (ちくま新書)感想
国家による犯罪といってよく、立案・指示した近衛文麿と国庫からの支出を即決した池田勇人主税局長は売国奴の名に値する。閣議決定もなしに玉音放送の三日後に実行に移した経緯も、その犯罪性を裏付ける。体を張ってすべての女性を守ろうという気概もプライドもなく、嘘の宣伝文句で女性を誘い、性病流行で廃止されたあとは、彼女らの心身の傷を思いやるどころか、あとは自己責任と町に放り出す。思えば、この慰安所を契機にして日本はアメリカに、日本という国をまるごと、どうぞなんでも自由にお使いくださいとばかりに売り渡したのではなかろうか
読了日:07月03日 著者:村上 勝彦
新版 赤瓦の家新版 赤瓦の家感想
強制か自発的か、性奴隷か売春婦か、そんな不毛な議論では到底すくい上げられない、心身をずたずたにされて異郷に取り残されたポンギさんの寄る辺のない孤独に耳を傾ける。遊んで暮らせると騙されて朝鮮から連れてこられた沖縄で待っていたのは一日数十人の兵士の性の相手。しかし本当の孤独は敗戦後、朝鮮にも帰れず沖縄にも馴染めず、落ち着かないまま体を売りつつ放浪する日々にあった。バラバラになったジグソーを拾い集めるように、彼女とともに慰安所で過ごした仲間の消息をたどる著者の視点から、沖縄戦の別の側面が見えてくる。
読了日:07月01日 著者:川田 文子
恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)感想
買わなくてもいいものを買わせたり買わされたりするのが資本主義なのだとすれば、マックス・ウェーバーの言う節倹と勤勉よりも、著者の言う恋愛と贅沢がその原理となるという説のほうが説得的に思える。中世からルネサンスにかけて婚外恋愛が盛んになるとともに一夫一婦制が有名無実化する過程と、砂糖や香水をはじめとする奢侈品が人気を博していく過程をパラレルに捉える視点が新鮮。金儲けを恥ずかしいこととする道徳律はどこにいったのやら、聖職者や貴顕から庶民までこぞって世俗的な富を求めて狂奔していくさまがユーモアを交えて語られていた
読了日:06月24日 著者:ヴェルナー・ゾンバルト
邂逅: クンデラ文学・芸術論集 (河出文庫)邂逅: クンデラ文学・芸術論集 (河出文庫)感想
生誕百年のクセナキスを祝ってクンデラクセナキス論を読む。ソ連によるチェコ侵攻に弄ばれる自らの運命に、ギリシャでの戦争で顔の半分を失う作曲家のそれを重ねつつ、西欧音楽の相続を拒否するかのような彼の音楽に慰藉を感じる作家の筆致は温かい。その理由は、彼がクセナキスの音楽のなかに反(anti)=音楽というより原(archi)=音楽、近代西欧の音楽が聴き逃してきた原初の響き、人間のちっぽけな主観や感情から解き放たれた音を聴いたからなのかもしれない。「私の初恋」という表題のヤナーチェク論も心に残る。
読了日:06月22日 著者:ミラン・クンデラ
はじめての西洋ジェンダー史: 家族史からグローバル・ヒストリーまではじめての西洋ジェンダー史: 家族史からグローバル・ヒストリーまで感想
タイトルから想像される広く浅い入門書ではなく、トピックごとの掘り下げが深くて読みごたえがある。当たり前と思われている現代の性規範を、時間を超えてプレモダンと、空間を超えて非西欧世界と参照して相対化・異化してゆく。とりわけ男性史の視点から見た男の体液(涙を流すことの禁止と自慰の禁止の相関関係)、また近代になって軍隊が男性だけのものになるにつれて「産む性」に対する「殺す性」として男性が規定されてゆくこと。参考文献も充実していて読みたい本が一気に増える。図書館で買ってもらったが自分用に一冊手に入れてもいいかも。
読了日:06月19日 著者:弓削 尚子
神の座 ゴサインタン (文春文庫)神の座 ゴサインタン (文春文庫)感想
ネパールから連れてきた花嫁に、本人の了承なしに勝手に日本人の名前をつける輝和は、かつて朝鮮人慰安婦を日本風の名前で呼んだ日本兵のように、女性の尊厳への意識が皆無で、嫌悪感しか感じない。その輝和が、最後のページで彼女を本当の名前で呼ぶまでに、彼がいかに多くのものを捨てなければならなかったか。だが、ひとつひとつ捨てるにつれて、まるで、鬱蒼と暗い森が間伐によって光が差して生き返るように、彼の人生から余計なものがなくなり、明るく風通しの良いものになっていく。異邦人の彼女が彼の生に光を与えるその過程がまぶしかった。
読了日:06月16日 著者:篠田 節子
わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配についてわたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について感想
テヘランでロリータを読む』と併読したい一冊。ロリータの物語をなぞるように生きることを強いられ、そこから回復するのに何十年もかかった著者の痛みは、恋人から贈られたナボコフの書物を焼く場面で頂点に達する。男の視点で愛の物語と誤読されてきたロリータを、ロリータの視点から虐待と支配の物語として読み替えることで、同時にリアルの恋人の支配から脱却する過程が生々しい。『テヘラン』の著者と同じように、次の世代の女性とともにロリータの新しい読み方を考える終盤は希望に満ちる。女性による女性のための文学史が書かれるべき時。
読了日:06月13日 著者:アリソン・ウッド
回復する人間 (エクス・リブリス)回復する人間 (エクス・リブリス)感想
事故で痛む手足、意志とかかわりなく動く左手、女性になりたいのに男性である肉体など、ままならない肉体をもてあましつつも、その肉体を通して記憶は蘇り、時間は逆流する。傑作『少年が来る』でも用いられた二人称の呼びかけの文体の表題作および「青い石」、特に後者の、今は亡き人への静かな呼びかけのテクストが深く心に沁みた。「火とかげ」の、前足を切られても再生する生き物に永遠のイメージを重ねつつ、手の自由を失った画家がふたたびアトリエに立って再生を試みる物語も良い。この作家を読むのは何作目だろうか、つねに私を裏切らない。
読了日:06月10日 著者:ハン・ガン
宣教師ニコライとその時代 (講談社現代新書)宣教師ニコライとその時代 (講談社現代新書)感想
キリスト教が禁教だったころ来日して秘密裡に伝道を始め、日露戦争ではスパイ扱いされつつも日本にとどまった宣教師の生涯を、日記の肉声を通して再現する。財政難や仲間の離反など苦難にあっても純粋な信仰を保ち続けた彼が、同時代のロシア文学に厳しい目を向けていたのは意外。スラブ主義を鼓吹するドストエフスキーや無教会主義のトルストイへの批判、彼らによるプーシキンの神格化の動きへの違和感。西欧近代にあこがれる文学者たちと違って、ロシア正教のなかに身を置くことで近代の呪縛から自由たりえたニコライだから可能な視点かもしれない
読了日:06月09日 著者:中村 健之介
82年生まれ、キム・ジヨン82年生まれ、キム・ジヨン感想
重い内容なのに明るい読後感なのは、この年代で力強く自己を表現する女性、コン・ヒョジンソン・イェジン、キム・ボラ(はちどり)などを思い浮かべていたからだろうか。出生さえ喜ばれず、常に男性より下位に置かれてきた母親世代に比べて、たとえば大学進学率が男性とほぼ同率の80%というのは驚異だし、出生率1.08という低さは、そのまま女性の地位の向上を物語る。男性から女性に向けられる侮蔑や盗撮やヘイトクライムは、負けそうになっている彼らの悪あがきにも見える。誰かのオマケではない自分の人生を歩む女性は着実に増えている。
読了日:06月05日 著者:チョ・ナムジュ
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)感想
何度めかの再読は「信仰と祭」の章。日本人の無宗教は維新後ではなく、江戸時代にすでにそうだったこと、信仰心に薄い(undevotional)が宗教心がない(irreligious)わけではなく、稲荷や地蔵へ手を合わせる慣習などに独特の宗教心が見いだせること。たとえば既成宗教をすべて相対化する富永仲基や山片蟠桃、同じ論法でキリスト教と仏教の双方を排撃する不干斎ハビアン、さらには儒道仏を比較検討した空海など、古くからの宗教の相対化の伝統を考えた。と同時に隠れ切支丹のような(日本人らしくない?)したたかな宗教心も
読了日:06月02日 著者:渡辺 京二
シナン 下 (2) (中公文庫 ゆ 4-6)シナン 下 (2) (中公文庫 ゆ 4-6)感想
壮麗を極めたヴェネチアのサンマルコ大聖堂も、この建築家にとっては不完全で夾雑物にまみれている。人間の声は聞こえても神の声は聞こえない。キリスト教徒として生を享け、生き延びるためにイスラムに改宗したシナンの、かつて信じた宗教が、彼を裏切る。神だけを現前させる完全な建築物はいかにあるべきか、その思索は、後年かれが建設したモスクの、光あふれる球体となって結実する。キリスト教イスラムのはざまに生き、陰謀の渦巻く宮廷で前人未到の仕事に身を捧げた建築家の、それは究極の信仰告白であったといえるだろう。
読了日:05月26日 著者:夢枕 獏
悲劇の誕生 (岩波文庫)悲劇の誕生 (岩波文庫)感想
デルポイ(その語源は子宮)は世界のへそと考えられ、もともと女性神が支配する場所だったのを、アポロが横取りした(巫女たちは奴隷化された)経緯を見れば、アポロは女性性を抑圧する神。それに対して、ディオニュソス側の主役は、陶酔と熱狂で踊り狂う信女たち(マイナデス)なのだから、ディオニュソスは女性性を解き放ち自由にする神と言えようか。男性による支配を疑いもしなかったギリシャ世界に、すべてを破壊する狂乱の信女たちが押し寄せたときの衝撃を想像してみたい。こんなことは本書のどこにも書いていないことなのだけれど。
読了日:05月23日 著者:ニーチェ
ギリシャ正教 (講談社学術文庫)ギリシャ正教 (講談社学術文庫)感想
拝んでいるのは像そのものではなく像に表されたものだから、イコンは偶像崇拝ではない、というのはやはり詭弁ではないかと思う。著者は教会の中の人らしいからこういう書き方なのだろうか。文盲が大半だった民衆にとってイコンは聖書の代用品で、それなりの存在意義はあったのかもしれない。いずれにしても、偶像崇拝を厳しく禁ずるイスラームと隣合せに生きた正教会は、信仰や礼拝のあり方をめぐって何度も自問を余儀なくされただろう。一方、聖像を大量生産したカトリック教会は、そのような自問をしたことが一度でもあっただろうか。
読了日:05月10日 著者:高橋 保行
新版 魔女狩りの社会史 (ちくま学芸文庫)新版 魔女狩りの社会史 (ちくま学芸文庫)感想
天災や不幸の原因を何か超自然のものに帰したい民衆の想像力と、古代から文書で伝えられた魔術の歴史をに接する知識階級の想像力が相まって、魔女狩りが行われるようになった経緯を、ミシュレほかの先行研究を批判しつつ明らかにする。結局人は、信じたいと思うものしか信じようとはせず、自分の不幸を誰かのせいにしたくて、そこにステレオタイプ化した魔女のイメージがあれば、真偽を深く考える前にそれに飛びついてしまうものなのかもしれない。とくに女性に断罪の矛先が向かったことにも、ある種のジェンダーバイアスがあったのだろう。
読了日:05月08日 著者:ノーマン・コーン
雪感想
雪の結晶が六角形でも二つとして同じ模様がないように、人間の精神も一人一人違うはずなのに、政教分離の政治制度はすべての国民を同じ色に染め上げる。イスラームの伝統に従って、あえてスカーフを纏って登校する女性たちには、想像される男尊女卑のイメージとは逆に、むしろそうすることへの自らの強い意志と誇りを感じる。舞台上で初めてスカーフをはずした直後のピストルの誤射は、たとえ誤射であっても彼女の誇りを表しているだろう。主人公の名前がKa、舞台の街がKars、雪はトルコ語でKar。雪の結晶のように儚くても独自であること。
読了日:05月01日 著者:オルハン・パムク
言語・思考・現実 (講談社学術文庫)言語・思考・現実 (講談社学術文庫)感想
ネイティブアメリカンのホーピ族の言語には同時性の観念がなく、時間は距離に置き換えられて、遠くの村に今起こっていることは、距離をへだてることによって過去の出来事となる。それはたとえば、いま空に見えている星の光は過去のものであるのと似ているだろうか。真の意味の同時性はいまここで私に見えているものだけで、それ以外はあえていえば非現実。衛星中継は、世界のどこかで今も戦争が続いているのを教えるが、しかしそれがなければ私たちは何も知らない。知らないことを知っているようには言わないホーピ族の潔癖な思考様式にあこがれる。
読了日:04月28日 著者:L・ベンジャミン・ウォーフ
占領軍被害の研究占領軍被害の研究感想
自由と民主主義をもたらすために来たはずの占領軍が、実際は残虐な行為、ときには面白半分と思えるような気まぐれな暴力をふるっていたことが、被害者自身の証言から明らかにされる。不発弾処理の際の巻き添えから車の暴走、銃撃から強姦にいたる地獄の詳細に暗然とする。問題は誰も責任をとって賠償しようとしないことで、加害者の兵士は配置転換でいなくなり、日本政府は占領軍の行為には関知しない。雀の涙ほどの見舞金で泣き寝入りさせられた無名の人々の声を丹念に拾い上げた著者に敬意。分厚い本だが全国の図書館で読めるようにしてほしい。
読了日:04月24日 著者:藤目ゆき
時間の比較社会学 (岩波現代文庫)時間の比較社会学 (岩波現代文庫)感想
若い頃生命保険を勧められたとき、生涯を一本の数直線で示されたことに何ともいえない嫌な感じがしたのを思い出した。本書はアフリカの諸語、万葉集からプルーストまで幅広く渉猟しつつ、計量できない人間的な時間の概念がいかにして抽象化され人間を疎外するに至ったかを明らかにする。天智から持統の時代に水時計・暦(元号)・年代記が相次いで作られたのは偶然でなく、さらに私見をいえばこの時代に日本語の書き言葉が確立したことで、時間を線的に捉える思考様式が定着した。不可逆的に流れる線的な時間の流れと書き言葉は密接に関連するだろう
読了日:04月23日 著者:真木 悠介
ルソー・コレクション 政治 (白水iクラシックス)ルソー・コレクション 政治 (白水iクラシックス)感想
ポーランド統治論」のなかで、国民を統合するために王は必要としつつも、その世襲は階級を固定し自由を抑圧するとしてこれを禁止するよう主張しているところが目をひく。そういえば中国の伝説の王の堯舜禹の三代は、血縁でない者への禅譲で良い治世だったのに、その後世襲されるようになって世が乱れたのだった。王の子が王に劣らず英明である保証はどこにもない。この国でも、本当の自由と平等を実現するために、天皇や代議士の世襲をやめてみたらどうだろう。国会議員の大半が入れ替わって、風通しが良くなるのではなかろうか。
読了日:04月22日 著者:ジャン=ジャック・ルソー
女帝エカテリーナ 下 改版 中公文庫 B 17-4 BIBLIO女帝エカテリーナ 下 改版 中公文庫 B 17-4 BIBLIO感想
夫から帝位を奪った女帝にはじめは懐疑的だったのに、彼女から年金をもらうようになるとたちまち擁護派に転じるフランスの啓蒙思想家たちの浅はかさに失笑する。思想も哲学も金次第ということなのだろうか。啓蒙専制君主という名称そのものが矛盾概念で、自由も平等も口当たりのいい飾りでしかなく、女帝の本音は飽くことない領土拡張への欲望だった。ポーランドを分割し、ウクライナを支配し、クリミアを占領する。いまも続くクリミアとウクライナをめぐる争いの淵源は、この自信にあふれた派手好みのエカテリーナにあったのだと知る。
読了日:04月20日 著者:アンリ・トロワイヤ,工藤 庸子
シェイクスピア全集 12 タイタス・アンドロニカス (ちくま文庫)シェイクスピア全集 12 タイタス・アンドロニカス (ちくま文庫)感想
開幕早々に、まだ一言も発していない人物が殺される禍々しい始まり。勝利に酔い、ほとんど手当たり次第に殺すタイタスの高慢にひきかえ、囚われの女王タモーラとその情夫が、表向きは忍従しながらも着々と進める復讐につい共感してしまうのは判官贔屓の読み方だろうか。いずれにしても死体の山を築いたあとに生き残る人々は、たとえ勝っても表情は虚ろで、それをとうてい正義と呼べないのは、敗者の死体の埋葬を厳しく禁じる最終ページ(アンティゴネーを想起)からもわかる。敵味方の区別なく死者を弔うことこそ正義のはずなのに。
読了日:04月19日 著者:ウィリアム・シェイクスピア
出口なお――女性教祖と救済思想 (岩波現代文庫)出口なお――女性教祖と救済思想 (岩波現代文庫)感想
教祖の教えは後継者によって歪曲されるものだが、出口なお王仁三郎の場合もそうだ。本書は「筆先」と呼ばれるなおのテクストの読解を通じて両者を丁寧に腑分けする。聖書風にいえばなおの言葉は「異言」で、無学文盲の彼女の話し言葉をそのまま移したような文法的破格の文章における激越な文明批判と天皇制批判が、王仁三郎の、わかりやすく言い換えられた「預言」で時代に妥協したものに変貌してしまう。社会の最底辺で呻吟した者だけに見える終末論をルサンチマンと切り捨てるならば、そこにこめられた根源的なメッセージを見落とすことになろう
読了日:04月17日 著者:安丸 良夫
言語起源論 (講談社学術文庫)言語起源論 (講談社学術文庫)感想
ルソーとの違いは第一に、ルソーが言語の起源を欲求と情念と考えたのに対して、理性(思慮深さ)にその起源を求めたこと、第二に、時代を経て文法が整うにつれて言語が原初の生命力を失い堕落すると考えたルソーに対して、伝承によって言語はますます洗練されてゆくと考えたこと。理性をもつ人間が、時代の経過にともなって洗練し進歩するという楽観的な人間中心主義は、たとえば同時代のハイドンの「天地創造」にも共通する Zeitgeist と言えようか。逆に、ルソーの思想がいかに過激で前衛的だったか、比べて読むとわかるような気がする
読了日:04月15日 著者:ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー
寛容についての手紙 (岩波文庫)寛容についての手紙 (岩波文庫)感想
政治は民の現世的利益に、宗教は魂の彼岸的救済に、それぞれ専念して互いに介入しないという政教分離を説く。しかしそんなにきれいにすみ分けられるものだろうか。共同体に生きる以上どんな人も政治的人間たらざるをえず、そこで宗教的自己主張をすれば、どんなに無害に見えても軋轢を生む(イスラムのスカーフでの登校、宗教的良心に基づく兵役拒否)。さらに、宗教は、もしその名に値する存在意義を持つならば、政治の不正義があればそれを黙過せず、批判し抵抗するのが当然で、そうでなければただの気持ちのいいアヘンにすぎないのではなかろうか
読了日:04月14日 著者:ジョン・ロック
パイドン: 魂の不死について (岩波文庫)パイドン: 魂の不死について (岩波文庫)感想
肉体労働はすべて奴隷にさせてもっぱら学問に打ちこむ哲学者だからこそ、このように肉体を軽蔑することができるのかもしれない。目も鼻も口も耳ももたず幸せに生きていた渾沌の神を見て、おせっかいな友人たちが穴をあけたため神は死んでしまったという『荘子』の逸話を思い出した。目も見えず耳も聞こえない方が幸せであり、見えたり聞こえたりするから思い惑う。しかしそれが人間の条件なのだから、哲学者のように逃げることはできない。むしろ、はかなくうつろう光と影の瞬間の中にこそ、永遠なるものが宿るということはできないだろうか。
読了日:04月12日 著者:プラトン
新訳 マクベス (角川文庫)新訳 マクベス (角川文庫)感想
「私を女でなくしておくれ Unsex me」というセリフとともにマクベス夫人は男になり、逡巡し懊悩する夫に対して、男らしくせよと叱咤する。男性性にとりつかれた男たちに流血以外の選択はなく、仇敵のマクダフさえ、妻子を殺されて泣くひまもなく男らしい復讐に走る。男性性の不毛。三人の魔女はギリシャ神話の運命の女神モイラのように登場人物のなりゆきをすべて支配している。その意味では彼らはすべて魔女の筋書きに踊らされる人形かもしれなくて、それを悟ったマクベスのことばが「哀れな役者 a poor player」なのだろう
読了日:04月10日 著者:シェイクスピア
紅楼夢2 (平凡社ライブラリー)紅楼夢2 (平凡社ライブラリー)感想
立身出世が小さくない関心事だった光源氏と違ってそのようなことに関心をもたず、塾もさぼりがちで遊ぶことばかり考えている宝玉の生き方は、与えられた男性性を否定しているようで面白い。女の子の髪をとかしてやったり、つむじを曲げて引きこもった子をなだめたり、実家に帰りたいという侍女にそばにいてくれと泣きついたり、やさしいというか甘えているというか、女の子に人気があるのもわかる気がする。隠然と君臨する賈の後室や辣腕で家計を切り盛りする王熙鳳などの個性豊かな女性たちに比べて男性たちの存在感のなんとも薄いこと。
読了日:04月08日 著者:曹 雪芹
証言・樺太朝鮮人虐殺事件証言・樺太朝鮮人虐殺事件感想
虐殺を行った日本人が酒に酔っていたという証言が複数あり、たしかに正気ではとてもできない行為だろうと思う。昨日まで仲良く暮らしていた人々を、朝鮮人というだけで、女性も子どもも含めて殺す残虐さ。侵攻してくるソ連軍の中のモンゴル系の兵士が朝鮮人に見えて、ソ連に寝返ったと思い込んでパニックになったのが一因らしいが、根柢にあるのは日本人の臆病さからくる朝鮮人への恐怖だろう。実際、復讐されてもおかしくない行為、強制連行と極寒の地での搾取をそれまで行ってきたのだから。もっと多くの人に読まれるべき書物と思う。
読了日:04月07日 著者:林 えいだい
愛するということ 新訳版愛するということ 新訳版感想
男性原理と女性原理の二元論(無条件な母性愛、規則を教える父、逸脱としての同性愛...)を前提としている点で強い違和感を覚えつつ読む。個人としての成熟と宗教の成熟をパラレルにとらえ、母に依存する幼年期(母権的宗教)→父に服従する少年期(父権的宗教)→両者を統合した形での成熟(自らのうちに父と母をもつ、神と合一)を論じるくだりは興味深い。うまくまとめすぎた弁証法のような気もするが、ここで著者は、単純な二元論からの超克を目指しているようにも思える。与えられた性別から自由になるときに人は愛しはじめるのかもしれない
読了日:04月05日 著者:エーリッヒ・フロム
トゥバ紀行 (岩波文庫)トゥバ紀行 (岩波文庫)感想
民族的にはモンゴル系だが言語はチュルク系、ラマ教シャーマニズムが共存する遊牧民と生活をともにしたドイツ人学者の文章は未知の文明への驚きと人々への親愛の情にあふれている。20世紀になって中国・ロシア・モンゴルの領土争いに翻弄され多くの血が流れた。遊牧の民に国境の概念など理解不能だろうし、文字なしで幸せに生きてきたのに、急にアルファベットやキリル文字を押しつけられて当惑するのも無理はない。生き残るためには大国の傘に入らなければならないのが少数民族の宿命なのかもしれないけれど。
読了日:04月04日 著者:メンヒェン=ヘルフェン
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)感想
聴覚を失った作曲家だけに聴こえる音があるように、視力を失った春琴抄の主人公だけに美しい人の面影が浮かぶように、オスマン帝国の細密画家たちも、盲目になることを恐れず、皇帝の命で目を潰されても、あるいは自らの手で盲目になっても、むしろかえって自由に、絵を描き続けていく。ペルシャの偉大な先人の様式や、イタリアの目覚ましい遠近法の様式など、東西の多様な様式に惑わされて自らを失うよりは、盲目になってただ神とのみ対話するほうを彼らは選ぶ。視覚はむしろ障害であり、視覚を失ったとき本当のものが見えるのかもしれない。
読了日:04月02日 著者:オルハン パムク
世界古典文学全集〈第48巻〉ラシーヌ (1965年)世界古典文学全集〈第48巻〉ラシーヌ (1965年)感想
ソポクレスの設定とは逆にオイディプスを死なせ、イオカステを生かしたために、「ラ・テバイッド」において彼女は二人の息子同士の激しい憎悪を目の当たりにすることになる。お前たちは胎内にいるときから争っていた、刺すのなら私の腹を刺せ、と二人の間に割って入って叫ぶとき、念頭にあるのはおぞましい近親姦から兄弟が生れた事実で、生れる前に彼らはすでに呪われていた。イオカステ自身も、もし知っていたらどうして息子と交わっただろうか。誰が悪いか問うても無意味で、個人の意志や責任を超えた何か巨大なものに引きずられてゆく登場人物
読了日:03月31日 著者: 
アンティゴネー (岩波文庫)アンティゴネー (岩波文庫)感想
わきまえる女イスメネとは逆に反抗する男前のアンティゴネーが、王国の法を盾に断罪するクレオンに一歩も引かず、二人が丁々発止の応酬をかわす場面が圧巻。ジュディス・バトラーによればアンティゴネーの語源は「反=子孫 anti-generation」。彼女の反出生主義は、万世一系的なクレオンの王統への反逆という形であらわれ、実際に劇の終わりでは跡継ぎとなるべき人が次々と死んでいく。この世の法が不正義であるならばこの世は滅びるべきであり、天の法の支配する死の国にしか安息はない。オイディプスによる死の予言の成就。
読了日:03月30日 著者:ソポクレース
砂に埋もれる犬砂に埋もれる犬感想
子どもは本当に無垢(innocent)なのか、そうだとしたら無垢でなくなるのはいつか、などと考えていた。先天的に重い障害をもつ子、また、暴力と遺棄の家庭に生れてクリスマスも正月も知らない子、彼らは生れながらに十字架を負い、それは彼らの責任ではない。バレエに通う良家のお嬢さんが無垢かといえばそうでもないのは、異質な他者への冷笑を見るだけで分かる。親子三代にわたる暴力の連鎖が語られるが、これを遡ればどこまでいくのだろう。もしかしてアダムまで?キリスト教の原罪の概念はあながち荒唐無稽ではないのかもしれない。
読了日:03月29日 著者:桐野夏生
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)感想
十二年越しの恋、二件の殺人などの形而下的主題と同じくらい興味を惹かれるのはオスマン帝国の細密画の絵師同士の間でかわされる芸術論。王の命令で匿名で絵を描いていた彼らにとって、個人の署名を添えて描くイタリアルネサンスの画家たちの、一人一人違う顔の肖像画がいかに衝撃的だったか(置き換え不可能な個人という概念の誕生?)。それを神の創造への挑戦と冒瀆とみる者もいれば、見習うべき新しい様式と見る者もいる。イスラムの視点から見たルネサンス芸術なんて考えたことがなかった。視力を失っても描きつづける絵師の執念が印象的。
読了日:03月28日 著者:オルハン パムク
紅楼夢 1紅楼夢 1感想
清朝といえば纏足に代表される女性差別のイメージしかなくて、このように詩的に美しく女性たちを描く物語が書かれたのが不思議に思える。貴族社会の女性群像という点で源氏物語に似ているが、あちらが光源氏という一人の男性を中心に展開するのとは違って、こちらは男性はあくまでも引き立て役で女性たちが主役、主人公の宝玉少年も、女の子と一緒に女の子の遊びをするのが大好きという設定だ。この巻のハイライトは彼が夢の中で仙女に逢って恋愛指南を受けたのち夢精する場面だが、そこでは同時に絢爛豪華な女性たちの悲劇的な運命が既に暗示される
読了日:03月27日 著者:曹雪芹,伊藤漱平
言語起源論――旋律と音楽的模倣について (岩波文庫)言語起源論――旋律と音楽的模倣について (岩波文庫)感想
作曲家兼思想家らしく言語と音楽をパラレルにとらえ、言語の始まりは歌(旋律)だったと説く。言語が文法と文字をもつにつれて命を失い冷たい人工物になったと同様に、音楽も、和声をもったために自由を失ったと。機能和声の確立期にすでにその破綻を予告し、実際1世紀後のワーグナーを境にして、和声の時代は終る。エルネスト・アンセルメは「旋律はドミナントに向う弾道である」と述べたが、逆に言えばドミナントという着地点に縛られたために人間の歌は鳥の歌のような自由を失ったのだ。ワーグナーの無限旋律は和声から旋律を解放する試みだった
読了日:03月26日 著者:ルソー
検察官 (岩波文庫)検察官 (岩波文庫)感想
最後のページで、爆弾のような知らせとともに登場人物全員が化石のように固まって一分半動かないという「だんまりの場」、こういう終わり方の劇はほかに知らなくて、その劇的効果は実演で見れば戦慄するほどだろう。それまでの展開で全員が醜い欲望と嫉妬と虚栄のありったけを出し尽くしたあとだけになおさら。ハムレットのローゼンクランツとギルデンスターンのような漫才のようなドブチンスキイとボブチンスキイの地主コンビが笑わせる。いまでも、査察が入るからデータ改竄だの統計不正だの、やっていることは全く変わらないのだなあと思う。
読了日:03月25日 著者:ゴーゴリ
ウクライナ・ファンブック: 東スラヴの源泉・中東欧の穴場国 (ニッチジャーニー)ウクライナ・ファンブック: 東スラヴの源泉・中東欧の穴場国 (ニッチジャーニー)感想
ウクライナへの愛に満ちた一冊。観光名所を紹介する旅行ガイドであるだけでなく、歴史、民族、言語、宗教など広く深く語りつくす。少数民族クリミアタタールについても一章を割いている。2020年出版なので情報も新しい。古代のスキタイや近世のコサックなど独立不羈の遊牧民の精神と、肥沃な農地を持つ農耕民族の精神を合わせもつのがウクライナ人の魅力だろうか。王も貴族ももたず自律的に歩んできた歴史は、大国の圧力にも屈しない強靭な魂を生んだ。短期的にロシアが勝つことがあっても、ウクライナはしぶとく生き残るような気がする。
読了日:03月24日 著者:平野 高志
興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明 (講談社学術文庫)興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明 (講談社学術文庫)感想
前9世紀の中央アジアの古墳の出土品から復元された女性の頭飾り diadème(その高く盛ったデザインはたぶん、もともとは弓矢の誤射から身を守るためのものだろう)が、現代のこの地の民族衣装と似ているのに驚く。文字や歴史を持たなくても、時間を超えて伝承されたものに、まぎれもなく高度な文明が息づいている。地理的にも、東の匈奴と西のスキタイの工芸品の意匠を比べるだけで、その広大さがうかがえる。ヘロドトス司馬遷とは逆の視点から見た中央アジアの文明は、生活そのものが豪宕な祭儀であるかのように光り輝いて見える。
読了日:03月23日 著者:林 俊雄
ジュスチーヌあるいは美徳の不幸―他一篇 (富士見ロマン文庫 46-2)ジュスチーヌあるいは美徳の不幸―他一篇 (富士見ロマン文庫 46-2)感想
宗教や道徳への嘲笑は1世紀前のモリエールドン・ジュアン」を嚆矢としてリベルタンと呼ばれる人々の反抗的文学の系譜の上にあり、思想的な新しさは特に感じない。特徴があるとすれば、女性と美徳を同一視して、その両方をこき下ろして楽しむところで、その徹底的な女性蔑視にうんざりする。美徳を信じる愚かなお人よしの女性が男性の甘言にコロッと騙されるか、そうでなければ開き直って唯一の武器である肉体を売ってのし上がるか、それ以外の選択肢はないかのように見える。世の中はそんなに愚鈍な女性ばかりではないはずなのに。
読了日:03月22日 著者:マルキ・ド・サド
反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー感想
穀物の耕作による定住のあと国家の成立を可能にしたのは、権力者による穀物の収奪と、そのための奴隷の存在だったが、単一品目の耕作による飢饉や伝染病を考えるまでもなく国家は脆弱なシステムにすぎない。定住民のほうが文明的というのは文字と歴史をもつ定住民からみた見方で。古来多くの人々が定住を避け、定住から逃げたのは、その方が自由で文明的だったから。たとえば釜ヶ崎のホームレスに住居を与えることは、場合によっては余計なお世話なのではないか。あえて家を持たない方が自由と考える人のために、〈定住しない権利〉を認めてもいい
読了日:03月21日 著者:ジェームズ・C・スコット
マダム・エドワルダ(海外新訳文学叢書)マダム・エドワルダ(海外新訳文学叢書)感想
La nuit était nue. 夜は裸だった。まるで韻を踏むような夜と裸。夜の街で下半身裸になる男が滑稽すぎる。どんなにペニスの大きさを誇ろうとも、男が裸になるとき全ては無意味で虚しい。それに反して、男の前で堂々と股を広げる女は途中から大文字のElle 、さらには神となる。暗い穴のような虚無の極限としての神。これが書かれた1940年代初頭、フランスがドイツの軍靴に蹂躪された時代、神とはすなわち暗黒で無意味であり、男性性は刀折れ矢尽きるほかない。
読了日:03月18日 著者:ジョルジュ バタイユ
隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー)隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー)感想
ウクライナの国歌ではコサックの末裔たることを誇らかに歌い上げるが、大きな力に決して屈従せずに自由と独立のためにあくまでも戦い続けるこの物語の人物たちの血は、今の彼らの中にも流れているのだろう。東のタタールと西のポーランド、あちらを倒せばこちらが攻めてくるなかでは戦いが日常で、むしろ平和だと落ち着かなくて、戦争依存症とでも名付けたくなる。好戦的な彼らも仲間同士の友愛は温かく、大事な決断は民主的な合議によるところが印象的。一方で女性たちはまったく蚊帳の外、男くさいホモソーシャルな世界。
読了日:03月16日 著者:ゴーゴリ
民主主義とは何か (講談社現代新書)民主主義とは何か (講談社現代新書)感想
著者の繰り返す参加や責任という言葉がむなしく聞こえるのはなぜ?民主主義とは、参加し責任をとる能力と意志を持つ者だけのものなのか?たとえば水俣で、たとえ不十分にしても、発病した患者への謝罪と補償はされているが、猫や貝や魚や海への謝罪はされていない。民主主義とは所詮人間中心の、人間だけのためのものなのだろうか。山川草木悉皆仏性が真ならば、人間以外の存在にも敬意をもつべきで、動植物の権利を含めた上での正義を考えなければ。人間だけのための正義を論じてもしょうがない。どっちみち早晩滅びるのが人間なのだから。
読了日:03月15日 著者:宇野重規
女帝エカテリーナ 上 改版 中公文庫 B 17-3 BIBLIO女帝エカテリーナ 上 改版 中公文庫 B 17-3 BIBLIO感想
見てきたように書く司馬遼太郎のような文体が鼻につくけれど、女主人公の魅力に惹かれて上巻読了。この広大なロシアを治めるには独裁しかないという洞察は真理かもしれず、スターリンプーチンも彼女の(あるいはピョートルの)末裔なのだろう。権力の掌握と維持のためには手段を選ばないところも似ている。フランスの啓蒙思想への傾倒と、粗野で無骨なロシアへの愛の共存を可能にしたのは、ドイツ出身という異邦人性のゆえであろうか。夫の皇帝を出し抜いてのクーデターの手に汗握る緊迫の場面でも終始冷静沈着を貫くところが印象的。
読了日:03月14日 著者:アンリ・トロワイヤ,工藤 庸子
男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか (中公新書)男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか (中公新書)感想
母系的な妻問婚の衰退のはじまりを象徴するのが源氏物語の紫の上の挿話だったと言えるだろうか。それ以前も伊勢物語の芥川など、男が女を奪う物語はあっても、女が死ぬなどして失敗していたが、光源氏が初めて掠奪に成功する。しかし紫の上は幸せになったのだろうか。籠の鳥のように閉じ込められて、実家の後ろ盾もなく、子を産むこともなく、夫の浮気を黙って見ているしかない。父権的な結婚を描いたのが紫式部という女性だったのは皮肉だが、それが決して女性を幸せにする制度ではないことを、紫の上の生涯の描写を通じて訴えているように思える。
読了日:03月14日 著者:立石 和弘
セレクション戦争と文学 8 オキナワ 終わらぬ戦争 (集英社文庫)セレクション戦争と文学 8 オキナワ 終わらぬ戦争 (集英社文庫)感想
桐山襲「聖なる夜 聖なる穴」琉球処分と68年学生運動とコザ暴動とひめゆりの塔の火炎瓶が時空を超えて交差し、死者と生者の複数の声が響き合う。ひめゆり学徒隊の純潔を兵士たちの性欲から守るためのはけ口として同行させられた娼婦のかすかな声は、機動隊に歯をへし折られた学生の耳に確かに届く。それがいかにドン・キホーテ的な無謀に見えても、無数の無念の死者の声に突き動かされて火炎瓶を投げる行為にはある真実がある。何重にも差別されて足蹴にされてきた沖縄の民の声をなかったことにすることなどだれにもできないのだから。
読了日:03月12日 著者:山之口 貘 他
女たちの王国: 「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす女たちの王国: 「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす感想
ジェームズ・C・スコットが『ゾミア』で描いた中国奥地の僻陬の地、平地の父権制資本主義から隔絶して自由たりうる場所、本書に描かれたのはまさにそのような場所に生きる人々だ。観光とインターネットのせいでその母系家族のシステムは風前の灯火とはいえ、我々が当然の前提としてきた結婚制度が何の根拠もなく、男が女を支配するための道具でしかなかったことを教える。読むにつれて母系のほうがはるかに合理的に思えて、男たちも萎縮するどころかむしろ生き生きと生と性を楽しんでいるように見えるのは、何枚かのカラフルな写真からもうかがえる
読了日:03月10日 著者:曹 惠虹
妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ (集英社新書)妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ (集英社新書)感想
子育て時代この種の言説の荒唐無稽に呆れて、妻も忠告に逆らって短いスカートをはいていたのを思い出す。著者の指摘の通りこの流行がフェミニズムの退潮と相前後したのは偶然でなく、フェミニズムへの失望、と同時に、抑圧的で無能な男たちへの失望が、最後の砦としての身体に逃げ込むことを強いたのだろう。しかし一方では、もっともらしい学説で女性性を寿ぐ男性医師たちを無批判に受容する傾向もあり、彼女らは心のどこかで白馬の王子様的な何者かを求めていて、それは夫を見捨ててジャニーズを追いかける心情にも通じるのかもしれない。
読了日:03月08日 著者:橋迫 瑞穂
アポカリプス・ベイビーアポカリプス・ベイビー感想
お行儀のよいブルジョワ読者の眉を顰めさせる放送禁止用語連発の挑発的な文体は、その不穏な伏線の末の禍々しい黙示録的結末を考えれば必然的だっただろう。放棄と虐待と無関心のなかに取り残される十五歳の少女と、その孤独の奥の秘密を見抜いてただひとり最後まで彼女を気遣い、その暴走を止めようとする男勝りの探偵の間のぎりぎりのやりとりが圧巻。尼僧の衣を被ったエリザベスが曲者で、結果から見ればヴァランティーヌは彼女に利用されただけなのかもしれないが、かといってほかにどのような選択肢がヴァランティーヌに残されていただろう。
読了日:03月06日 著者:ヴィルジニー デパント
ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキージョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー感想
禅の思想を通じて音楽に偶然性を取り入れ、楽音だけでなく雑音にも沈黙にも耳を傾けてゆくケージの音楽の軌跡は、音楽の能動的な主人としての作曲家の役割を極小化させてゆく過程だったといえるだろうか。全体を統御する意思はもはやなく、あちこちにひびわれや裂け目があり、奏者は自由に選択して演奏し、沈黙する。寄せては返す海の波や吹く風に一つとして同じものがないのと同じように、音楽もまた、一度限りの、反復不可能の、生れた瞬間に消える運命の、つかのまの命の輝きであるのかもしれない。
読了日:03月04日 著者:白石美雪
ソクラテスの弁明―エウチュプロン,クリトン (角川文庫 白 16-2)ソクラテスの弁明―エウチュプロン,クリトン (角川文庫 白 16-2)感想
同じようにその思想ゆえに裁判にかけられて死刑になるのであっても、ソクラテスとイエスは何と違うことだろう。饒舌な前者と寡黙な後者。まるで世界を言葉で満ちあふれさせるようにたえず問いかけ、論じてやまないソクラテスは、たぶん言葉の力を信じて、語り尽くせば理解してもらえると思っている。一方のイエスは、ヨハネ伝の「はじめにロゴスありき」ということばにもかかわらず、おそらく言葉など信じていない、それゆえ、お前は神の子かと問われても答えず、何ひとつ弁明しない。どちらが好きかと言われれば、イエスのほうが好きだけれども
読了日:02月28日 著者:プラトン
狂女たちの舞踏会狂女たちの舞踏会感想
フーコーの狂気の歴史にも出てきたパリの精神病院を舞台に、しかしフーコーとは違う切り口で。正気(理性)と狂気(非理性)の境目を判断する(しかも恣意的に。ルルドでマリアを見るのは正気、亡き祖父の霊を見るのは狂気)のはいつも男性で、品定めされ管理されるのは女性である。その矛盾は、患者を管理すると同時に男性医師から管理される存在でもある婦長ジュヌヴィエーヴに端的にあらわれ、物語の最後で彼女は驚くべき決断をして垣根を乗り越える、その幕切れの鮮やかさ。父権制の威圧を象徴するようなシャルコーの公開講義に身の毛がよだつ。
読了日:02月28日 著者:ヴィクトリア・マス
男は女 女は男男は女 女は男感想
父権制の終焉とともに男女の差異はなくなり類似がむしろ際立ち、女は男と同様に働き、男は女と同様に育児をする。もともとどんな人間にも男性性と女性性が共存していて、自らの内なる他性altéritéに気づけば、異性との相互理解も深まる。そうなると、男性はもはや〈産まない性〉という否定的なやり方でしか自らを定義できなくなり、男性にとってより生きにくい時代。確かに昔と比べて赤ちゃんを抱いた若い父親を見かけることは多くなったが、本当に父権制は終焉したのだろうか?西欧の白人のブルジョワ社会ではある程度そうかもしれないが。
読了日:02月26日 著者:エリザベート バダンテール
スモールワールズスモールワールズ感想
「花うた」は服役中の受刑者と被害者遺族の往復書簡。受刑者の手紙が初めのうちひらがなばかり、誤字ばかりで稚拙なのに、やり取りするうちに深みを増し、漢字を辞書で調べて時間をかけて書くようになり、しかしある事故を境にして再びひらがなばかりになる、そのエクリチュールの変遷が彼の成熟。同じようにひらがなばかりでも前半と後半の文章は歴然と違う。花うたは鼻歌との掛詞で、対照的な立場の二人が孤独を慰めるために歌う鼻歌と、最終ページに降る花びら。犯した罪は消えなくても、塀を隔てた交流が、二人に救いと慰藉をもたらす。
読了日:02月24日 著者:一穂 ミチ
レイチェル (創元推理文庫)レイチェル (創元推理文庫)感想
女性というものは衝動的だと何度か断定されるが、読み終えて思うのは、衝動的なのはむしろ男性なのではないか。魅力的なレイチェルにのぼせ上がって、その場の思いつきで遺言書を書き換えて墓穴を掘るのはフィリップの方だった(昨今のキレる老人も男性が多い印象)。むしろレイチェルのほうが終始落ち着いて理性的で、ファムファタールと言われても毒殺の客観的証拠はなく、彼女目線で読めば潔白で、男たちが勝手に自滅しただけ。女性のしたたかさと男性の脆さを皮肉な視点で描いたといえそうだ。そういえばレイチェルもレベッカ旧約聖書の人物。
読了日:02月20日 著者:ダフネ・デュ モーリア
天皇制と共和制の狭間で天皇制と共和制の狭間で感想
戦前は反戦運動、戦後は成田空港反対運動に挺身した戸村一作についての文章のもつ衝撃力は彼のキリスト教信仰のゆえであり、信仰を貫けば国家権力の否定は当然で、逆に国家にすり寄る宗教はまがい物なのだろう。人間宣言にもかかわらず天皇制は依然として疑似宗教で、それを信じるのは勝手だが信じない自由も保障されるべき。それならば「国民の総意」というあいまいな文言も疑わしくなる。沖縄を訪れた皇太子に火炎瓶を投げたり、本書の執筆者たちのように天皇制を懐疑する人々が少なくない現実がある。論じることさえタブーなのだろうか。
読了日:02月20日 著者: 
マザリング 現代の母なる場所マザリング 現代の母なる場所感想
今まで母の場所はなかった。男たちは母を神聖化するか奴隷化するかのどちらかで、フェミニストは母たることをむしろ拒否してきた。居場所も言葉も失っている母の復権は、しかしむろん陳腐な母性神話によってではなく、広い意味の母性、濡れたものや汚れたものをやさしくぬぐい抱きとめる、生物学上の母を超えた〈ケアする〉存在、他者に対して常に開かれた存在によってである。そのことは、養子を育てる人や介護スタッフの男性や育児中の父親との対話からも明らかだ。脆弱なものを排除してきた男たちの近代へのラディカルな挑戦の可能性を秘めた母性
読了日:02月12日 著者:中村 佑子
サイラス・マーナー (光文社古典新訳文庫)サイラス・マーナー (光文社古典新訳文庫)感想
冬の寒い夜、いつの間にか迷い込んできた二歳の子どもに、なんとかしなきゃと手を差し伸べるサイラスに芽生えたのは、性別を超えた母性とでも言うべきものだろうか。小さな子どもとの共同生活は世話の仕方もわからず仕事の邪魔もされるけれども、それまでの孤絶した境遇から彼が少しずつ解き放たれていく様子に深い感銘を受けた。私自身主夫として子を育てたときに同じように感じたからかもしれない。もはや天使も神もいない時代なのであっても、子どもという存在が、私たちを導いてくれるのだろう、私たちが導くのではなくて。
読了日:02月10日 著者:ジョージ・エリオット
トム・ストッパード (3) ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ (ハヤカワ演劇文庫 42)トム・ストッパード (3) ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ (ハヤカワ演劇文庫 42)感想
悩みつつも能動的に決断し行動する英雄ハムレットと対照的な反英雄とでも言おうか、彼の学友というだけで、わけもわからないうちに突然呼び出されて監視と付き添いの役を押し付けられる二人組にはなんの主体性もなく、ただ受動的に巻き込まれ挙句の果てに処刑される運命なのだが、漫才コンビのような二人のボケとツッコミが面白い。劇中劇の座長の役割が大きいのも特徴で、ときおり挿入される本編の筋書きとないまぜになって、どれが現実なのかわからなくなる。もはや英雄の君臨しない凡人の時代にふさわしい劇と言えるだろうか。
読了日:02月08日 著者:トム・ストッパード
ハムレット日記ハムレット日記感想
著者の筆にかかると、主人公の原作における奇矯なイメージは後退して、マルティン・ルターの活躍するヴィッテンベルクで新しいキリスト教の薫陶を受けつつも、当時のノルウェーデンマークと英国の合従連衡の渦中で悩み、デューラーメランコリアに沈潜するルネサンス的人間でもあるという、多様な側面を見せる近代人となるが、それだけに一層、父王の亡霊の投げかける死の影の迫真性はかえって際立つ。著者自身の、死と隣り合わせの従軍経験、狂気と正気のはざまでぎりぎりの生を生きたこと、それがハムレット像に投影されているようにも思える。
読了日:02月06日 著者:大岡 昇平
半身 (創元推理文庫)半身 (創元推理文庫)感想
原題 Affinity からゲーテの小説『親和力』を思いだす。二つの物質が化学的に引きつけ合うように、魂同士がまるで失った片割れを探し求めるように惹かれ合うプラトン的エロスは、ここでは上流階級の貴婦人と最下層の牢獄の女囚という対照的な二人の間に生起する。二人とも、女性性という名の牢獄からの脱出を夢みる点で共通するように見えるが、聖アグネスの前夜に企てる逃避行は、全く思いもよらない結末を迎える。カルロ・クリヴェッリの表紙に惹かれてなんの予備知識もなく手に取ったが、謎めいたいくつもの伏線が飽きさせない。
読了日:02月04日 著者:サラ ウォーターズ
ボリス・ゴドゥノフ (岩波文庫)ボリス・ゴドゥノフ (岩波文庫)感想
ムソルグスキーのオペラにおける群衆の圧倒的な存在感からも察せられるとおり、この作品の主人公は群衆、為政者(前任も後任もうさんくさい)が交替すればとりあえず歓呼して平伏するが、結局は何ひとつ変らないことを知っていて、けれども識字率の低さゆえに、代読されたメッセージを信じ込んでしまう群衆。この劇が長く上演禁止だった理由はよくわかる。誰が為政者でも同じと言われれば皇帝の立つ瀬がなくなる。しかしこの実感は、今のこの国の我々も共有していないだろうか。選挙して、政権が替って、それでいったい何が変っただろうか。
読了日:02月02日 著者:プーシキン
タルチュフ (岩波文庫 赤 512-2)タルチュフ (岩波文庫 赤 512-2)感想
狂人を装うハムレットと同じく、善人を装うタルチュフもまた、変装とまやかしに満ちたバロック演劇の典型的な肖像と言えようか。しかし、〈本当らしさ〉を求める古典劇の作法は、仮面の下にある本性をあばき、前半と後半でタルチュフは豹変する。そのきっかけとなるタルチュフとエルミールの会話の場面は、オルゴンに盗み聞きされることで、ハムレットにおける劇中劇のような役割。すべては幻想なのだ、ただ一つ国王の至上権を除いて。しかし王権もまたまやかしだったことは歴史が証明する。王のご機嫌を取らなければ生きられなかった劇作家の限界
読了日:01月31日 著者:モリエール
フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学感想
とりわけ興味を惹かれたのはフェミニズムと宗教の関わりについての章で、原罪論に見られるような他罰的で善悪二元論的なキリスト教会が、資本主義的家父長制の理論的支柱となってきたこと(いまだに妊娠中絶を認めないカトリック教会など)は、日本におけるフェミニズムの理論から抜け落ちている論点ではないだろうか。もはや希望を見出せない既存の教会を批判して、資本主義的家父長制の抑圧にあえぐ貧困層や有色人種や性的少数者を救うことに正義を見出す「解放の神学」への言及は、フェミニズムと宗教との新しい連帯の可能性を予感させる。
読了日:01月30日 著者:ベル・フックス
モープラ ジョルジュ・サンドセレクション 1モープラ ジョルジュ・サンドセレクション 1感想
カトリック教会の禁書目録に入れられたことからもわかるように、至上の愛を貫く一組の男女の物語というにとどまらず、大革命直前のフランスの田園地方における貴族や教会の横暴と腐敗を容赦なくえぐりだした文明批判の書でもある。教会と喧嘩して飛び出した神父や、無知無教養にもかかわらず高い見識をもつ隠者、机の上の書物からではなく世間という書物から学ぶ男などの脇役が魅力的。荒々しい自然人の主人公モープラが、文明との軋轢を通して試行錯誤しつつ成長するようすは、ジャン=ジャック・ルソーにおける無垢な自然人を思い出させる。
読了日:01月27日 著者:ジョルジュ・サンド
マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)感想
思想的には先輩のエピクロスエピクテトスの踏襲で目新しさはなく、ストア派の哲学、すなわちこの世の無常と、何ものにも惑わされない魂の平静を説くが、この文章が死体の散乱するゲルマニア戦線の陣中で書かれたとなると、違う色合いを帯びてくる。極限の状況でも平静を保つことはできるのだろうか。無差別大量殺人の現場でも? 感情の扉をシャットダウンしてまで平静でいるべきだろうか。怒ることで幸せになることはありえなくても、怒るべきときに怒らなければ、却ってあとになって魂の平衡を失う結果にならないだろうか。
読了日:01月23日 著者:神谷 美恵子
フロイト、性と愛について語る (光文社古典新薬文庫)フロイト、性と愛について語る (光文社古典新薬文庫)感想
著者の父親像にどうしてもなじめないのは私が主夫だからだろうか(私は自分が父親だと自覚したことがあまりない)。19世紀末の西欧の市民社会のごく狭い範囲の、夫婦のそろった核家族のみを観察して自分に都合のいい父親像を作り上げ、それに理論を当てはめているだけに見えて、たとえば一人親の家庭や孤児にはこの理論は役に立つまい。彼がもし女に生れても同じような理論を作っただろうか。ペニスを持たずに生まれればそれがその人にとって自然なはずで、ペニスのほうがむしろ逆に余計なもの、奇妙なものとしか思われないのではなかろうか。
読了日:01月21日 著者:フロイト
「かわいい」論 (ちくま新書)「かわいい」論 (ちくま新書)感想
明治初期に日本に来た西欧人が、日本ほど子供が大事にされている国はないと感嘆した、と渡辺京二が書いていた。確かに、たとえば漱石彼岸過迄には三歳ぐらいの子の可愛らしい様子が描写されているが、同時代の西欧の小説に同様の描写はあまり見当たらない。何しろ、フィリップ・アリエスの言うように、子供という概念自体近代の所産なのだから。本書にもある通り、大人についても「可愛げ」という価値が肯定的に語られるのは、子供の無垢と無防備が、年代を超えて普遍的な理想とされていることを意味するのであり、西欧の子供観と対照的と言える。
読了日:01月19日 著者:四方田 犬彦
推敲推敲感想
「物体を安定的に支えるには、一直線上にない少なくとも三つの支点が必要とされる」というエピグラフは、同時にこの物語の三人、ロイトハマーとヘラーと語り手を意味しているかもしれない。しかしその均衡は、一人が姿を消したために崩れつつあり、これは崩れて滅びゆくものへの挽歌ともいえる。改行なしで延々とうねるように続く文、反復を嫌う西洋の文体論にあえて逆らうかのような執拗な語の反復をもつ独自の文体が奇妙な酩酊感をもたらす。円錐の形の家に住みたいとは思わないけれど、それが凡庸さへの反抗の象徴のようにも思える。
読了日:01月18日 著者:トーマス・ベルンハルト
新訳 ハムレット (角川文庫)新訳 ハムレット (角川文庫)感想
ワイルドのサロメと対比してみると、兄を殺して兄の妻と結婚した弟、義理の父と実の母に屈折した感情を持つ題名役。ハムレットの劇中劇に対応するのはサロメの踊り。そして、舞台裏にいながら実際は劇全体を支配し、登場人物の全員に呪いをかけているかのように見えるのが、ハムレットにおける亡霊でありサロメにおけるヨカナーンと見立てられるだろうか。違いは題名役の性別だが、一見天真爛漫に見えるのに実はぞっとさせるような褒美を要求するサロメも、狂人を装いつつひそかに暗殺を企てるハムレットも、その二重性において似ている気がする。
読了日:01月16日 著者:シェイクスピア,河合 祥一郎
ドガ ダンス デッサン (岩波文庫 赤 560-6)ドガ ダンス デッサン (岩波文庫 赤 560-6)感想
何かを美しいと感じるのは誤解した証拠で、見ることの放棄なのかもしれない。多くの場合人は見るvoirよりむしろ予測するprévoirだけ、見たいと思うものを見ているにすぎない。何ものにも置き換えられない現前を、目の見えない人が何度も触れて確かめるようにして見ることの持続、それがドガのデッサンであった。画家と親子ほどの年の差にもかかわらず親炙した著者の、雑談や寄り道のように見えるのにいつの間にか深い芸術論になっていく筆致の中に、もはや過ぎ去った偉大な芸術への哀惜の念が見え隠れする。大学の原書講読以来の再読。
読了日:01月15日 著者:ポール・ヴァレリー
アンチェルの蝶 (光文社文庫)アンチェルの蝶 (光文社文庫)感想
中年男の歪んだ性的嗜好、少年少女の彼らへの憎悪という主題は東野の白夜行に似ているが、違うのは刑事が登場せず、生起した犯罪の成行きは当事者間の「目には目を」によって駆動されること、白夜行では一組の少年少女だが、この作品では二人の少年と一人の少女が中心となり、彼らの間にもまた愛と嫉妬と羨望が複雑な関係を織りなすこと。ナチスで家族全員を失ったチェコの指揮者アンチェルの振る新世界交響曲は、彼らにもまた新世界のありうることを夢想させる。最後の場面でのほづみのグラン・ジュテはその世界への足掛かりとなりえたのだろうか
読了日:01月11日 著者:遠田 潤子
レイテ戦記 上巻 (中公文庫 A 33-2)レイテ戦記 上巻 (中公文庫 A 33-2)感想
「死んだ兵士たちに」というエピグラフが示すように鎮魂の書なのだけれど、感傷や詠嘆は排除されて、ほとんど無味乾燥といえるほどの精細さで、この泥沼の戦いの一コマ一コマを再現してゆく。敵味方どちらにも偏らない公正さを目指しているように見える筆致は、神などいるはずもないが、もし神がいたらどのように見ただろうかという視点にたっているように思える。不正確な地図しかないジャングルで雨季の激しい雨に濡れながら死力を尽くして戦い死んでいった無名の兵士ひとりひとりを公正に描くことこそが彼らを正義をもって供養することなのだ
読了日:01月09日 著者:大岡 昇平
Debussy: Pelleas Et Melisande in Full ScoreDebussy: Pelleas Et Melisande in Full Score感想
作曲家生誕160年に、音楽を聴きながら楽譜を読む。ワーグナーのように音楽が言葉を従わせるのではなく、音楽が言葉に従い、どんな小さなささやきにも耳を傾け、ときには沈黙する。ペレアスの愛の告白の場面では管弦楽は完全に沈黙してしまう。引き延ばされた音も華やかなパッセージもなく、歌は限りなく語りに近づき、寡黙で清潔な音楽。真実を求めずにいられないペレアスやゴローと、真実とは無関係なところであくまでも innocent なままのメリザンドの対比は、塔の高さと泉の底の深さという垂直的な関係で表象される。
読了日:01月07日 著者:Claude Debussy
旧約聖書〈5〉イザヤ書を読む (こころの本)旧約聖書〈5〉イザヤ書を読む (こころの本)感想
詩人ジョン・ダンも言うように、島のような人間などひとりもいなくて、すべての人は大陸のようにつながっているのだから、抑圧に苦しむ人がこの世のどこかにいるならば、それは私たち自身のせいなのだ。そして預言者の繰り返し説く正義とは、最も苦しむ弱い人々の生が守られて救われることにほかならない。日雇い労働者の街釜ヶ崎で長年暮らすカトリック司祭の著者の、終始一貫して社会の最も低いところに注がれる視点から読み直される預言書は、呪術的口寄せのようなものとは正反対の、社会の抑圧構造の明確な分析に基づく正義への希望に満ちている
読了日:01月03日 著者:本田 哲郎

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