Dolcissima Mia Vita

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シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』を読む

「真理は死の側にある」La vérité est du coté de la mort. 

シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』の中にあることばである。

このことばから、真(眞)という漢字の成り立ちを思う。

この字は横死した人の死体を表していた。死という字の右半分と同じ形が眞の字の上半分にあり、これが死者を表す。眞の下半分はさかさまにつるされた首の象形。

古代の中国では、行き倒れた人のもつ霊力への畏れの気持ちがあった。

「鎮魂」の鎮の字に眞の字が含まれることからもそれはわかる。

知らない人の死体だ、あるいは、敵兵の死体だという理由でそのままにしておけば祟りがあるから、鄭重に葬る。

 

ソフォクレスの『アンティゴネー』では、敵であるポリュネイケスの遺体を葬ってはならないと命令する王クレオンと、敵味方にかかわらず葬るのが当然だと主張し、命令に逆らって埋葬するアンティゴネーが激しく対立する。

クレオンが生きる者たちだけを見ているのに対して、アンティゴネーは生きることの彼方を見つめている。

 

生に属することはなべて想像可能である。想像を絶するもの、それが死である。生きている者のだれひとり死を経験していないのだから。

死者は、我々生きる者が決して知りえないことを知っている。真理というものがあるとすれば、それは我々の想像を絶こえた、隔たりの彼方にあるだろう。

想像を絶する者への畏怖と敬意。死者を弔う理由はそこにある。

実のところ、アンティゴネーがいるべき真の場所は、あちら側にあった。というのも、この哀れな少女が従っていた書かれざる掟は、いかなる掟とも、いかなる自然的なものとも共通するものをもつどころではなく、それは、極度の、常軌を逸した愛にほかならなかったからである。この極度の、常軌を逸した愛のために、キリストは十字架へと押しやられたのである。(シモーヌ・ヴェイユ「人格と聖なるもの」)