Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

現代的な脚色と演出にとまどう ガルシア・ロルカ原作『イェルマ』舞台上演

兵庫県立芸術文化センターで、ガルシア・ロルカ原作の『イェルマ』の舞台を見てきた。

オノマリコ(オノマ・リコと発音するらしい)の脚本、稲葉賀恵(有名なデザイナーとは別人)の演出。キャストはイェルマが咲妃みゆ、フアンが渡邊圭祐そのほか。

原作を大胆に書き換えた脚本で、ちょっと戸惑った。 羊の鳴き声が聞こえてジャスミンの香る情景を思い浮かべていたのだが、舞台は21世紀の日本の、おそらくマンションの一室、パソコンもスマホもある日常風景、衣装も今の時代のもので、想像とのギャップが大きい。

原作ではたくさんの歌が歌われるので、どんなふうに歌われるか楽しみにしていたのだが、イェルマが来るべき子どもを待ち望みながら独り言のように静かに歌う歌は予想通りとしても、大音量のロックのような音を鳴らして髪を振り乱しながら歌う歌は驚いた。女たちの持つ潜在的なパワーのようなものを表していたのかもしれない。ただし、伴奏の音がうるさすぎて、歌詞の日本語が聞き取れないのは致命的だと思う。

イェルマの夫フアンが実はゲイだったという設定にはびっくり。その分、話の流れは分かりやすくなるけど、身も蓋もなくなるとも言えるかな。それに、イェルマがフアンの首を絞める最後の場面も、説得力に欠けてしまった気がする。ゲイなのを隠して結婚したフアンは確かに悪いけれど、それが首を絞める理由になるだろうか。

原作では仄めかされるだけだったイェルマとビクトルの関係も、なんだかあからさますぎる気がした。

演出の意図にはっきりとしたメッセージ性があるのがわかる。「産む機械」という言葉も使われていた。子を産むことを女性の使命とみなす社会と、その使命を内面化してしまう女性の悲劇を通して、女性の自分らしい生き方を問うているのだろう。女性の生きる上での困難を問いかける脚本と演出の二人の女性の問題意識も伝わってくる。しかし、そんなふうにかんたんに要約できてしまう劇というのはいささか退屈なものだとも思う。

観劇のまえに予習したロルカの原作の中から引用してみる。

 

でも いとしい坊やはきっと来る

海が塩 大地が果実をもたらすように

女の体はきっと可愛い子をはらむ

空の雲が恵みの雨をもたらすように

(『イェルマ』第2幕第2場、牛島信明訳)

Pero tú has de venir, amor, mi niño,

porque el agua da sal, la tierra fruta,

y nuestro vientre guarda tiernos hijos

como la nube lleva dulce lluvia.

 

原作のイェルマがこのように歌うとき、彼女はただの産む機械と割り切ってしまえる存在ではないように思える。女性に押し付けられた産む義務を自分なりに捉え返して、今ここでがんじがらめに閉じ込められている自分をいつの日か解き放ってくれる何かを切実に待ち焦がれる、あこがれのようなものが感じられないだろうか。

 

配役の中では老婆役の渡辺いっけいの声が一番よく通って聞こえた。あんまり老婆らしくなかったけれど。

 



 

プラトン嫌いの読む『プロタゴラス』

人は本来善と快を求める存在であり、その反対に悪や苦を求めてしまうのは、ただ単にその人が無知であるからだ、だからこそ善悪を判断するために知を愛し知を求めることが必要だ、と説くが、少しも共感することができない。

そんな考え方では、人間の心の不条理を説明し尽くすことはできないだろう。たとえば、してはならないとわかっているからこそしてしまうポーの短編『天邪鬼』The Imp of Perverse の主人公を、あるいは、フロイトが『快感原則の彼岸』の中で「死の欲動」Todestrieb と名付けた、不快なことをあえて選ぶ行動や破壊衝動を、さらには自殺を選ぶ人の心の動きをどのように説明したらいいのだろうか。

小さな子どもが、苦労して作り上げた積み木のお城を、狂ったように笑いながら破壊するのを見るとき、我々もまた、すべてを破壊したい衝動を、自らのうちに感じることはないだろうか。

 

奴隷たちの奉仕の上に自足してあぐらをかいて哲学談義にうつつを抜かす男たちには、このようなどうしようもなくままならない人間の心の暗闇を理解することなど到底できまい。

オスカー・ワイルド『インテンションズ』あるいは芸術におけるアナキズム

学生時代以来の積読だったオスカー・ワイルド Oscar Wilde の『インテンションズ』Intentions を、このたびみすず書房から新訳(河内恵子訳)が出たのを機会にようやく読むことができた。今となっては忘れられた作家の名前を含む多くの固有名詞について、原書には注がついていないため、なかなか読みすすめられないままだったが、この訳書には親切な割注がついていて助かった。

「危険でない考えなど考えと呼ぶに値しない」An idea that is no dangerous is unworthy of being called an idea at all.

「芸術は本質的に不道徳なものである」All art is, in its essence, immoral.

など、皮肉たっぷりでアナキストで唯美的なワイルド節が炸裂する。芸術など何の役にも立たないものなのだ、役に立たなくて何が悪い、という反抗的精神が、19世紀末の英国の、役に立たないものを排除するまじめで野蛮な時代をあざ笑う。

芸術が人生を模倣するのではなくその逆であるという逆説は、AI 時代の今読むと予言的に聞こえる。art や artifact や artificial なものこそが人間の考え方や生き方をずっと支配してきたのだし、今もなお、さらに強力に支配しつづけている。AI で生成された美女に恋したり、同じ美貌を手に入れたいと思ったりなど。

ワイルドの師であったウォルター・ペイターの芸術論を想起させる箇所も多い。ペイターの名言として、全ての芸術はつねに音楽の状態に憧れる(All art constantly aspires towards the condition of music)というのがある。文学や絵画なら、それが「何を描いているか」を問わずにはいられないが、音楽ではそれを問うことはない。意味のくびきから解き放たれた音楽こそが、現実の粗雑さから自由になって、美に限りなく近づく。ワイルドが繰り返し強調する芸術の現実世界からの独立は、音楽においてこそ完全に近い形で達せられるであろう。

 

同じ時期に出たトルストイの芸術論と真逆なのが面白い(ワイルドの著作は1891年、トルストイの方は1898年に出ている)。

トルストイがその著作『芸術とはなにか』Что такое искусство の中で、芸術とは民衆のために存在し、道徳や宗教の奉仕者でなければならないと最後まで信じ切って、19世紀的な「正しい観念や道徳」の範囲内にとどまったのに対し、ワイルドは、その道徳や有用性の強制から人間を解放するために、あえて道徳を切り捨てて「遊戯」としての芸術を称揚したという点で正反対である。

ワイルドが同時代のロンドンの下層階級の貧困に言及しつつも、それを芸術として描いたり救済したりすることに強い忌避感を感じ、芸術とは無関係のものと断じたのとは反対に、トルストイは常に民衆とともにあろうとし、自らの裕福さが彼らの犠牲の上に成り立っていることに罪悪感を感じ、芸術を通じて彼らと連帯し、救おうとした。

この「民衆のための芸術」という考え方は、ソビエト連邦における社会主義リアリズムにおいて、おそらくトルストイの予想もしなかった形で継承されることになる。前衛的・退廃的な芸術を否定するところまでは同じであるが、トルストイが民衆との連帯を目指したのに対して、ソ連当局は民衆の弾圧に向かったのである。

 

ジョルジュ・サンド『笛師のむれ』 あるいは定住しない人々の音楽

ジョルジュ・サンド George Sand の長編小説『笛師のむれ』Les Maîtres sonneurs (1853)(岩波文庫、宮崎嶺雄訳)読了。戦前の、旧仮名旧字体の古い翻訳だが読みやすい。

原題の Maîtres はギルド(職能集団)の親方のことであり、他の職業と同じように音楽の世界でも、村ごとに笛吹きたちのギルドがあって、そこで試験を受けて合格して加盟しないとその村では演奏できないなどの取り決めがあったらしい。

楽譜などは基本的に存在せず、師匠から一子相伝のような形で伝授される奏法を、耳と体で覚える形で受け継いでゆく。ある意味で秘密結社のような団体でもあり、他の団体との縄張り争いのようなものも、小説の中で描かれている。

『コンシュエロ』でも示された、農民的・民俗的音楽への著者の深い愛着が、著者の故郷でもあるフランス中部の田舎の、バグパイプの楽師たちの奏でる音楽に合わせて踊る農民の踊りにあらわれる。定住せず、森の中での野宿も厭わないジプシーのような楽師たちに、農民は怯えと同時に憧れを持つ。そんな中の一人、鈍重で役立たずだったジョゼフ青年が、楽師たちに魅入られるようにしてついてゆき、自らも笛を習い始めるにつれて、次第に生き生きとしてくる。オック語 (langue d'oc)とオイル語 (langue d'oïl) の境界に位置する村の奇妙な方言、神秘に包まれた森の暗闇の描写が興味深い。『コンシュエロ』のことは前にも書いたことがある。

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中盤の恋の駆け引きはいささか退屈だったが、男三人に女二人の五角関係からの二組のカップル成立によって、結局はじきだされるのはジョゼフだった。しかし彼はどこまで本気で恋愛しようとしていたのだろうか。むしろ彼は何よりも音楽と、あるいはバグパイプと結婚したのではなかったか。村から村へ渡り歩き、祭りの日に演奏して村人を楽しませる旅芸人のような生活は、そもそも定住や結婚とは相容れないものだっただろう。そう考えれば、哀れとも見える彼の孤独な最期もむしろ似つかわしく、世間から隔絶した孤独な芸術家(というより芸人という方が近いか)というイメージも、いかにもロマン主義的に思える。

ショパンと同棲したことがあり、彼のピアノ音楽を愛した著者であるが、音楽への関心は芸術音楽にとどまらず、各地の民俗的な音楽に広がり深められていたことが、楽師たちの生き生きした描写に垣間見える共感からもうかがえる。

バグパイプという楽器は付属の袋に空気を溜めて、そこから送る風によって音を出すので、息継ぎで音が途切れるということがなく、ドローン (drone) と呼ばれるあの独特の長い持続音もそれによって可能になる。ためた空気を送り出して音を奏でる点ではオルガンと仕組みが同じで、いわば超小型のポータブルオルガンとでも言えそうである。

バグパイプの調べに合わせて踊られる陽気な踊りは、クラシック音楽にも、舞曲のブレー (bourrée) やミュゼット (musette) という形で取り入れられ、とりわけ後者の持続音は、バグパイプのドローンから発想されたと言われている。

こちらは私の好きなシェーンベルクの『ピアノ組曲』Suite für Klavier, op.25 からミュゼット。フランスの田舎の踊りの音楽とは何光年も離れたような12音技法によっているが、持続する低音はちゃんと聞こえてくる。

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金木犀の香りに包まれてフランス語の小説を読む

外を歩くと金木犀の香りがどこかから漂ってきて、そうか十月になったのだと気づく。去年は確か十月末になってようやく香るようになったのを覚えているが、ことしは暦の通りに咲いてくれたらしい。

金木犀の花はあまりにもつつましく目立たないので、姿よりもまず香りでその存在に気づくのは、まるで平安時代のお姫様みたいに奥ゆかしい感じがする。その点で、咲く姿はあでやかではなやかなのに香りが全くしない桜とは好対照である。

カトリーヌ・キュセ Catherine Cusset というフランスの作家の小説『カトリックの教育』Une éducation catholique を、何の予備知識もなく偶然に手に取って読み始めたのだが、なかなか読ませる。少女時代の初聖体の思い出から始まる最初のパラグラフの最後の行で、すでに何かが起こる気配が漂う。

わかりやすいフランス語なので、試しに訳してみた

子どものころ、公教要理に行っていた。一週間に一度、十二歳半で初聖体を受けるときまで。そのことについてはほとんど思い出せない。誰が公教要理を教えていたかさえも。女の人だったかしら、神父だったかしら。うちの近くの小聖堂だったか、イエスの生涯を描いた子どもの絵で飾られた窓ガラスのある地区の建物の一階のホールだったか。ぼんやりと覚えているのは小聖堂の入り口。廊下、木の扉、顔が大きく、髪は栗色で、優しい笑みを浮かべた若い神父が目に浮かぶ。神父とすれ違う時は恥ずかしかった。あわてて「こんにちは、神父様」と呟いて目を伏せ、頬を染め、まるで言い間違えたかのように気づまりで。「神父様」という言葉はその人の着ていた黒い衣を連想させ、何かなれなれしくてわいせつなもの、ちょうど社会の窓のすきまから間違って見えてしまっている性器みたいだ。
(カトリーヌ・キュセ Catherine Cusset『カトリックの教育』Une éducation catholique 2014)

自分も昔カトリック教徒だったことがあり、二十歳過ぎたころにぱったりと行かなくなるまでは、まあまあ熱心に教会に通っていたので、この雰囲気はよくわかる。私が公教要理を教わったのは小学校二年生の夏で、「めでたし聖寵満ちみてるマリア」などのお祈りの文句を暗誦したものだった。そのころはなぜか学校で習わない漢字を覚えることに熱中していて、シスターの先生に聖寵の寵の字の書き方を教わって練習したのを覚えている。変な小学生。

「めでたし」の祈りは正式には天使祝詞といい、いわゆるアヴェ・マリアであるが、今ではもっとわかりやすい日本語に変わっているらしい。もはや教会に行かないのでよく知らないのだけれど。

どういういきさつだったか忘れたが、シスターと一対一で個人教授のようにして教わったとき、イエスの十字架の受難の場面になって、両手両足に釘を打たれる様子が語られる時は本当にぞくぞくと怖くなった。何の心配もない無垢な少年時代に、人間の残虐さというものを知り、初めて影がさしたのがこの時だっただろうか。

聖寵の字を書いている八歳のときの公教要理のノートが出てきた

 

プラトン嫌いの読む『国家』 自分で料理したことのない男の哲学など何ほどの価値があろうか

プラトンの『国家』読了。

対話篇と言いながら事実上ソクラテスの長広舌に周囲が相槌を打つだけ。好戦的で男性中心主義的な国家論なのは、ホメロスの伝統のなかで書かれたのだから当然か。正義とは何かという問いの立て方自体、ゆるぎない正義の存在を前提とし、その裏返しとして、不正とされるものへの不寛容ひいては戦争を必然的に呼び起こす。

おそらく、国家と戦争は切り離せないものなのだろう。そういう意味では、憲法第9条に謳う戦争を放棄した国家というものが、そもそも矛盾概念なのかもしれない。本当に戦争を辞めたいのなら国家を廃止する、あるいは国家の外に出る以外に選択肢はあるまい。

靴屋は靴づくりを、政治家は政治を、各人がそれぞれひとつのしごとに専念すべし、などというのは「芸人は政治に口を出すな」という昨今の言説そのもの。矛盾を含む多面的な人格のありかたを否定するような国家なんてつまらないと思う。

 

賢人による理想の国家統治を延々と語ってきた哲学者が最後になって、しかし現実の国家にはこの理想を実現できるところはないと諦めるとき、彼はほぼ同時代の荘子にやや近づいたのかもしれない。君主が訪ねてきて私の代わりに天下を治めてほしいと乞われたときに、耳が汚れた、帰れと追い返し、そもそも政治そのものを人為的な虚偽として退け、何者にも束縛されずにタオと一体化することを望んだ中国古代の賢人が、初めからロゴスを信じていなかったのとは逆に、プラトンは最後までロゴスを信じ続けていたという違いはあるかもしれないが。

先日書いた『メノン』についてのブログでも、プラトンと老荘思想を対比したが、比べてみるとプラトンの方が青臭いというか、老荘の方が大人の思想という感じがする。かたやギリシャ、かたや中国の、同じように戦乱の世を生きた二人の賢人が、もし直接対決していたら、どんな言葉を交わしていただろう。

francoisdassise.hatenablog.com

 

知を愛する自分たちを上等の人間とし、肉体労働をする形而下の人々を下等の人間とするエリート意識が鼻持ちならなくて、読むのが辛かった。きっとプラトンは自分で食事を作ったことが一度もなかったのだろう。黙っていても食事が出てくるのをあたりまえと思う人間の哲学など何ほどの価値があろうか。

 

ところで、書きながら気がついたのだけれど、長年のあいだ政治というものに全く関心が持てないまま、選挙でも棄権するか白票を投じるかしかしたことのない、この私のノンポリ的な気質はどこからきたのかというと、中学時代に読みふけった老子と荘子のせいだったのかもしれない。この人たちの文章を読んで以来、現実の世界の出来事がすべて、まるで遠くの火事のようにしか見えなくなって、今に至っている。

 

あえてリスクを冒す勇気 バレンボイムがハンマークラヴィーアソナタについて語ること

自分の背丈よりも高い壁に飛びあがろうとするようなものだろうか。あるいは断崖を一気に飛び越えるような。

ベートーヴェンの『ハンマークラヴィーアソナタ』の最初の二つの音のことである。

最初の音は低音の変ロ、そこから2オクターブ以上跳んで次の和音を鳴らす。この音域のギャップを一瞬で跳躍しなければならない。

ダニエル・バレンボイムがその自伝『音楽に生きる』(原題 A Life in Music)の中で、この箇所について面白いことを書いている(本が手元にないので、記憶を頼りに書く)。

たいていのピアニストは最初の変ロ音を左手で、次の和音を右手で弾くが、私は違う。両方とも左手で弾く。その分ミスタッチのリスクは高まるけれども、そのように弾かなければ、作曲家がこの二つの音の音域のギャップに込めた思いが伝わらない、というのである。ベートーヴェンが求めたのは、単に響きとして音が鳴ることではなく、低音から高音へと一瞬で跳躍する際の、肉体的なエネルギーと限界への戦いそのものだからだ、と。

ピアノを弾くことに慣れてしまうと、このような音域のギャップへの感受性が鈍るような気がする。たとえばこの二つの音を歌ってみようとしてもとても歌えない。歌うとなれば、1オクターブの跳躍でさえ難しくて、素人なら音を外してしまうだろう。

『ハンマークラヴィーアソナタ』で作曲家が試みた前人未踏の冒険を再現するためには、きれいに取り繕った演奏ではなく、その冒険を追体験するような、リスクを顧みない大胆な演奏への態度が必要なのだろう。

 

同じ文脈の中で、バレンボイムはベルリオーズの『幻想交響曲』の第4楽章についても述べている。

「断頭台への行進」の出だしで、2台のティンパニがト音と変ロ音の6連符を連打するところ。たいていは左右両手で演奏するのだが、バレンボイムは片手で叩かせる。その分演奏は難しくなり、テンポを落とさざるをえなくなるが、だからこそ得られる音楽的な迫真性がある。

両手で叩くと、リズムが軽快になりすぎて、滑らかで器用な音楽になってしまうが、作曲家が求めていたのは、死刑台に引き立てられてゆく重い足取りであり、死への恐怖であり、重く引きずるようなぎこちなさ、重苦しさであったはずである、というのである。片手でたたける限界のテンポこそが、この楽章の持っているリアリティを引き出すのだ、と。

これを読んだあとで色々な人の演奏するこの楽章を聴けば、多くの演奏が軽薄で、上すべりしているように聴こえてきてしまう。

バレンボイムという人の音楽には、ときどき失望させられることもあるのだが、このような考えを読むと、彼が音楽について、他の誰も考えつかないようなやり方で、真摯に、徹底的に考え抜き、取り組んでいたことがよくわかる。

同じ自伝の中で、彼がチェロのジャクリーヌ・デュプレについて語っていた言葉も忘れられない。「普通の人が音楽を演奏する時は、人間がたまたま音楽を演奏しているという感じなのだが、彼女が演奏する時は、音楽を演奏しているのがたまたま人間でかのように思えてくる」という意味のことを書いていたのだった。

ルイザ・メイ・オルコット『仕事』 あるいは差別と偏見への叛逆と成長の物語

ルイザ・メイ・オルコット Louisa May Alcott の小説『仕事 ある女性の物語』(安部由紀子・矢島里奈訳、ちくま文庫)Work: A Story of Experience 読了。

題名の示す通り、仕事を通じて一人の女性が経験を積んでゆく、ビルドゥングスロマンの一つと言えるであろう。

同じ著者の『若草物語』が家庭を舞台にしたのとは逆に、こちらは家庭を出て自立を目指す若い女性だが、女性の自由も権利も限定されていた19世紀の米国において、それがいかに途方もない冒険だったか。

家事手伝い、女優、家庭教師、お針子など、下層社会の低賃金の仕事を転々としながら、黒人女性や「堕落した女性」への差別を目の当たりにしつつ、持ち前の優しさと前向きな姿勢で、彼女たちと助け合い、成長してゆく様子がまぶしかった。

最初の仕事である家事手伝いで同僚になった黒人女性へプシーから差別の現状、そして、いまだ奴隷の身である母を解放したいという切なる望みを聞き、深く共感して助け合おうとするところに、すでにヒロインの心の広さ、肌の色にかかわりなく仲良くしようとする姿勢が明らかである。

「堕落した女性」fallen woman とされるレイチェルへの、周囲の厳しく断罪する視線も印象的。実の兄さえも、改悛して実家に戻ろうとする彼女を撥ねつけてしまう。19世紀のニューイングランドの厳格な倫理観は、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』Scarlet Letter やアーサー・ミラーの『るつぼ』Crucible で描かれる、17世紀のこの地方のキリスト教徒の、規範から逸脱する女性への恐るべき不寛容の延長線上にあるのだろう。すべての人から見捨てられたレイチェルにヒロインが優しく声をかけ、逆にヒロインが絶望して川べりに佇む場面ではレイチェルの方が手を差し伸べる。ここでも、世間一般の差別とは無関係に友情が育まれる。

ヒロインのクリスティーが恋心を抱くデイヴィッドが、あまり男らしくない男、風采もパッとしないし、庭師という地味な仕事に従事する男性というのが面白い。もう一人の求婚者であるフレッチャー、男前で財産もある男に比べて見劣りするにも関わらず、彼女が選ぶのはデイヴィッドである。世間的な男らしさの基準とは別のところで、一人の男の美点を見出すところがすてき。

しかし、そのデイヴィッドも、南北戦争勃発という大事件をきっかけに見違えるように男らしくなって、雄々しく従軍するのには少し驚いた。愛国心というものがこの時代のこの国に持っていた影響力はそれほど強いものだったのか。一方のクリスティーが、銃後で待つのを潔しとせず、看護師として従軍するのは、いかにもこのヒロインらしい、自立と自律を誇りとする女性の決断だと感じた。

著者オルコットの父は『森の生活』のヘンリー・デイヴィッド・ソローやエマソンらとの交流があり、共同して「超絶クラブ」Transcendental Club なるものを設立している。このような周囲の知的な風土が、行間に垣間見える著者の文明社会への鋭い批判精神を生んだであろうことは想像に難くない。

 

この小説の存在は竹村和子『愛について』の中に言及されているので初めて知って、邦訳がないようなので、Kindleで原書を見つけて読み始めていたところ、先日偶然入った本屋で、出版されて間もないこの訳書を見つけたのであった。たまにはリアルの書店ものぞいてみなくては。

流麗で読みやすい訳だった(オルコットの原文がそもそも読みやすいのだけれど)。

プラトン嫌いが読む『メノン』 同時代の老荘思想との対比において

プラトン『メノン』読了。

「徳は教えられるか」を主題とするが、ここでいう徳(アレテー)は、道徳的な美徳というよりももっと広く、卓越性というほどの意味で、建築家のアレテーといえば良い家を建てること、馬のアレテーといえば馬としての働きが優れていること。

教えるよりも前に、徳とは何か定義しようということになるのだが、漠然とし過ぎているとさえ思えるこのような概念を、そもそも定義することにどれほどの意味があるのだろう。

ソクラテスに教えを乞う側のメノンが「男のアレテー」「女のアレテー」「年長者のアレテー」「子どものアレテー」と細分化してしまう気持ちがよくわかる。人によって、立場によって、無数のアレテーがあると考えた方が実際的ではなかろうか。万人・万物に共通の唯一絶対のアレテーを想定するのは、何かファシズムみたいで危険な気がする。

徳とは何かについての議論が「有用性」に収斂していくのは、同時代の老荘思想が無用の用を説いたのと対照的である。

老子は車輪の無数のスポークの中心にあるハブが空洞であることを例に出して、その空洞は何もないように見えて、それがなければ車輪として成り立たないような部品であると説く。空虚であるからこそ有用という説である。

荘子はもっと過激というかアナキストというか。あるところに大木が立っているが、なぜ伐られないのか大工に聞くと、船にすれば沈み、棺桶にすれば腐り、家具にすれば割れる。何の役にも立たないからこそ、今まで生き延びてきたのだと答えた。無用で何が悪い、という開き直りの思想と言ってもいい。

ドーナツの穴のような空虚がドーナツをドーナツたらしめているのに、西洋哲学は空虚を嫌い、有用な食べる部分だけを褒め称える。さらに、ギリシャ語のアレテーはローマでは virtus と訳され、新たな意味を帯びる。男性 vir に由来するこの語は徳に男性的な力・勇敢さを付与した。このような有用性への偏愛が、近代における優生思想、心身に欠陥のあるものは生きるに値しないという思想を生んだ、といえば飛躍のしすぎだろうか。

プラトン嫌いの私だが、本書の「想起(アナムネーシス)」anamnesis をめぐる議論にはハッとさせられた。魂は不死であり、今生きている私の中には前の世の記憶が格納されており、それを思い出すことこそが知ることであるという。人間は白紙で生まれるのではなく、すでに何かを持って生まれているのは、DNA のことを思い出すまでもなく明らかである。この議論はそれに続く部分と有機的に繋がっていないが、終盤で出てくる「神的な運命」theia moira によって徳が備わるというところにつながるのではないか。教えられるのではなく、思い出すことで発見する徳。

教育論として読んでも面白いと思う。徳にしても何にしても、人に物事を教えるというのは至難の業である。基礎的な四則演算や読み書きは別として、教えようとしても教えられないものは必ず存在する。指揮法や楽器のマスタークラスなどを見ていても、技術的な部分を超えた音楽の肝心な部分は、口で説明しても身振りで示しても、伝わらないものは伝わらず、頭で理解してもその通りにできない。

しかしあるとき、何かが舞い降りてきたかのように、そうかそういうことだったのかと気づく瞬間がある。あのときのあれはああいうことだったのかという気づきは、誰から教わるのでもない、自分の中から出てくる。それはどこに由来するのか。自分の中に元々備わっていたのに、それに気づかなかったものが、ふっと表に出てきたのではなかろうか。それを想起、アナムネーシスと呼んでもいいのかもしれない。

我々は多かれ少なかれ健忘症なのであり、豊かな知識をすでに自らのうちに持っているにもかかわらずそれに気が付かない。気づかせてくれるのは『メノン』のいう「神的な運命」なのかもしれず、平たく言えばそれは霊感のようなものだろうか。

スペインの中世音楽の生き生きとした現前 『モンセラートの朱い本』演奏会

濵田芳通と神戸市混声合唱団による『モンセラートの朱い本』、中世音楽についての固定観念を覆してくれる、楽しくてエキサイティングな演奏だった(9月19日、神戸文化ホール)。

カタルーニャのモンセラート修道院(ラ・モレネタ La Moreneta と呼ばれる黒い聖母像があることで有名)に伝わる音楽手写本で、14世紀末の成立とされる。表紙が赤い革で覆われていたのでこの名がある。ヨーロッパ中からこの地を訪れる巡礼者の慰めと楽しみのために作られた歌なのだという。当時の聖母崇拝を反映して、マリアを讃える歌が多数を占める。

生き生きしたリズムはしばしば5拍子や7拍子など奇数になり、合唱団の人々もノリノリで体を揺らしながら歌っている。メロディーラインも独特であり、アラブやケルトなど様々な文化がぶつかり合いながら発酵してきたスペイン音楽の多文化性を聴き取ることができそうだ。アンダルシアのアラビア語を話すキリスト教徒の聖歌「モサラベ聖歌」のこだまのような響きも聴こえてきた。

楽器はすべて当時の図版や文章から復元したものとのこと。ルネサンスのより小ぶりなリュート、持ち運びできるサイズのハープやオルガン、ヴァイオリンの先祖のフィーデルやトロンボーンの先祖のスライドトランペット、オーボエの先祖のショームなど、そしてなんといっても種々の打楽器の刻むリズムが生彩を与える。

中世の音楽ってこんなにエンターテイニングなものだったとは、うれしい驚きだった。 

指揮の濵田さんは去年のモンテヴェルディの『オルフェオ』以来だったけど(その時の記事はこちら)、あの時と同じように、何種類もの笛やコルネットを使い分けて吹きながら、体を揺らしながら指揮する様子が素敵だった。

マテオ・フレチャ Mateo Flecha などのスペインのルネサンス音楽の、同時代のフランスやフランドルとは全く違う生き生きしたリズムはどこからくるのか、かねてから不思議だったが、このような中世の歌を聴けば繋がりが見えてくる。