兵庫県立芸術文化センターで、ガルシア・ロルカ原作の『イェルマ』の舞台を見てきた。
オノマリコ(オノマ・リコと発音するらしい)の脚本、稲葉賀恵(有名なデザイナーとは別人)の演出。キャストはイェルマが咲妃みゆ、フアンが渡邊圭祐そのほか。
原作を大胆に書き換えた脚本で、ちょっと戸惑った。 羊の鳴き声が聞こえてジャスミンの香る情景を思い浮かべていたのだが、舞台は21世紀の日本の、おそらくマンションの一室、パソコンもスマホもある日常風景、衣装も今の時代のもので、想像とのギャップが大きい。
原作ではたくさんの歌が歌われるので、どんなふうに歌われるか楽しみにしていたのだが、イェルマが来るべき子どもを待ち望みながら独り言のように静かに歌う歌は予想通りとしても、大音量のロックのような音を鳴らして髪を振り乱しながら歌う歌は驚いた。女たちの持つ潜在的なパワーのようなものを表していたのかもしれない。ただし、伴奏の音がうるさすぎて、歌詞の日本語が聞き取れないのは致命的だと思う。
イェルマの夫フアンが実はゲイだったという設定にはびっくり。その分、話の流れは分かりやすくなるけど、身も蓋もなくなるとも言えるかな。それに、イェルマがフアンの首を絞める最後の場面も、説得力に欠けてしまった気がする。ゲイなのを隠して結婚したフアンは確かに悪いけれど、それが首を絞める理由になるだろうか。
原作では仄めかされるだけだったイェルマとビクトルの関係も、なんだかあからさますぎる気がした。
演出の意図にはっきりとしたメッセージ性があるのがわかる。「産む機械」という言葉も使われていた。子を産むことを女性の使命とみなす社会と、その使命を内面化してしまう女性の悲劇を通して、女性の自分らしい生き方を問うているのだろう。女性の生きる上での困難を問いかける脚本と演出の二人の女性の問題意識も伝わってくる。しかし、そんなふうにかんたんに要約できてしまう劇というのはいささか退屈なものだとも思う。
観劇のまえに予習したロルカの原作の中から引用してみる。
でも いとしい坊やはきっと来る
海が塩 大地が果実をもたらすように
女の体はきっと可愛い子をはらむ
空の雲が恵みの雨をもたらすように
(『イェルマ』第2幕第2場、牛島信明訳)
Pero tú has de venir, amor, mi niño,
porque el agua da sal, la tierra fruta,
y nuestro vientre guarda tiernos hijos
como la nube lleva dulce lluvia.
原作のイェルマがこのように歌うとき、彼女はただの産む機械と割り切ってしまえる存在ではないように思える。女性に押し付けられた産む義務を自分なりに捉え返して、今ここでがんじがらめに閉じ込められている自分をいつの日か解き放ってくれる何かを切実に待ち焦がれる、あこがれのようなものが感じられないだろうか。
配役の中では老婆役の渡辺いっけいの声が一番よく通って聞こえた。あんまり老婆らしくなかったけれど。






