Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

メーテルランク『ペレアスとメリザンド』における盲目のイメージについて

三人の盲目の姉妹、

(まだあきらめてはいけないわね)、

三人の盲目の姉妹が、

手に手に金色のランプを持っています。

 

塔にのぼって行きます、

(三人のほかに、あなた方も私たちも)。

塔にのぼります、

七日七夜 待っているのです。

(メーテルランク『ペレアスとメリザンド』第2幕第2場、杉本秀太郎訳)

 

メリザンドが塔の上で髪をくしけずりながら歌う歌の、最初の二つの詩節である(ドビュッシーのオペラでは、この場面は全く違う歌に差し替えられている)。

盲目の姉妹のイメージが鮮やかで、手探りで塔をのぼる様子が何か不確かで神秘的である。

そういえば、盲目のイメージはこの劇全体にしみわたっていないだろうか。

第1幕の冒頭で、道に迷うゴローも、森にいるメリザンドも、まるで盲目のように、今自分がどこにいるのか、どこに行こうとしているのか、わからない。

第2幕で、ペレアスとメリザンドが泉のほとりで遊んでいるうちに、彼女が指輪を落としてしまう場面の泉は、「盲人たちの泉」la fontaine des aveugles と呼ばれている。そこで指輪を探しても見つからない彼らは、まるで目が見えていないかのようである。さらに指輪を探しに洞窟に入ると、真っ暗で何も見えない。

メリザンドが指輪をなくすのと同じ時刻に落馬するゴローは、突然気の狂った盲人のように comme un aveugle fou 暴れ出した馬に振り落とされたと述べる。

老いた王アルケルは、視力を失ってほとんど盲目 presque aveugle になっている。

海辺の宮殿は霧が立ち込め、視界が遮られている。

登場人物全員が、まるで霧の中にいるように、視野を失い、自分がどこにいて、どこに行こうとしているのかわからないかのようである。

 

メーテルランクは『群盲』Les Aveugles という劇も書いていて、そこでは一人の神父以外は全員が目が見えない。

あるいはまた、こんな詩も書いている。

 

Les filles aux yeux bandés,
(Ôtez les bandeaux d’or)
Les filles aux yeux bandés
Cherchent leurs destinées…

Ont ouvert à midi,
(Gardez les bandeaux d’or)
Ont ouvert à midi,
Le palais des prairies…


Ont salué la vie,
(Serrez les bandeaux d’or)
Ont salué la vie,
Et ne sont point sorties…

 

目隠しをされた娘たち、

(金色の目隠しを外しなさい)

目隠しをされた娘たちが

運命を探している...

 

正午に開けるのは

(金色の目隠しは外さないで)

正午に開けるのは、

牧場の宮殿...

 

人生に挨拶をして

(金色の目隠しを締めなさい)

人生に挨拶をして

どこにも出かけない...

 

 

 

こうしてみると、盲目あるいは視界が遮られることは、この作家に繰り返し現れるライトモチーフのようなものだったのかもしれないと思われる。

 

自分には目が見えていると思い込んでいる人々も、実は何も見えていないのかもしれない。

 

翻訳小説を三つ 『シュグデン』『私の名はソリチュード』『一年ののち』

10月27日

グン・アヨルザナ著『シュグデン』(阿比留美帆訳、春秋社)読了。

図書館で偶然目が合って借りてきたけど、なにこれ面白い。元朝滅亡後のモンゴル史もチベット仏教も知識がなくて、知らない固有名詞がぞろぞろ出てきて、注もあまりないのに、ぐいぐい読ませる。チベット僧の射殺、直後の捜査犬の不審死という謎をめぐる冒険は、モンゴルやチベットの人々の漢民族による弾圧の歴史を織り交ぜながら、正統派仏教では表向きその信仰を禁じられた白い獅子にまたがる忿怒尊シュグデンに行き着く。宗教の分断と政治の抑圧にもかかわらず密かに生き続ける半ば呪術的な信仰の中に無名の庶民の地下水脈が垣間見えてくる。

つい書き留めたくなる一節

思いがけず普通の服をお召しになっていたものですから、つい戸惑ってしまって...。何かご無礼でもあったのでしたら申し訳ありません」「いいえ、ご心配はいりません」と、セルドク・ゲゲーンはモンゴル語で答え、微笑みを浮かべた。「僧侶とは、身に纏うものではなく、人そのものを指すもの。もっと言えば、人の肉体ですらなく、精神なのです」(211ページ)

表紙に書かれた原題がキリル文字だったので、原文はロシア語なの?と勘違いしたのだけれど、モンゴル語もキリル文字だと初めて知った。そんなことさえ知らなくて恥ずかしい。

 

10月29日

アンドレ・シュヴァルツ=バルト著『私の名はソリチュード』(中里まき子訳、水声社)読了。

フランス革命期の植民地の状況なんて考えたことがなかった。自由と平等の旗印のもと、一旦は奴隷解放になるが、実はそれは植民地をめぐる英国とのつばぜりあいで牽制する策略にすぎず、ナポレオンと共にあえなく奴隷制は復活する。アフリカからある日突然拉致されて奴隷とされ、船の上で強姦されて娘を産むが、その娘を置いて逃亡する母。取り残された娘は孤独を意味するソリチュードのあだ名をつけられる。逃亡奴隷の反乱グループを率いて森をさまよった挙句、一人の子を産んだ後の悲劇的な刑死まで、汚辱と優雅を併せ持つ不思議な人物像が印象的。

著者 André Schwarz-Bart はポーランド系のユダヤ人で、大戦中に家族をナチスに殺された過去を持つ。グアドループ出身の妻で作家の Simone Schwarz-Bart とともにこの島で過ごして奴隷制の歴史を知ったという。白人男性の社会に属しながら、迫害されたユダヤ人の末裔という出自が、奴隷制への視点を複眼的にしているように思われた。

 

10月30日

フランソワーズ・サガン『一年ののち』Dans un mois, dans un an (朝水登水子訳、新潮社)読了。

ラシーヌの詩句に由来する題名の示す通り演劇的な作品。フランス古典劇が一日で継起する出来事とすれば、こちらは一年のスパンで、裕福な家のサロンを舞台に繰り広げられる人間模様は野心と恋と嫉妬と失恋が交錯する。「美しく、激しい belle et violente」ベアトリスに四人の男が懸想するが、当の彼女自身も彼女なりに失恋するのは皮肉な結末だった。知的職業の男たちの薄っぺらい俗物ぶりと対照的な、田舎から出てきた清新な美青年エドゥアールが心に残る。一年後誰も死なずに同じ舞台で再会。それぞれが少しずつ傷を負いながら。

ジュリアード四重奏団の公演で大好きなバルトークの4番を聴く

ジュリアード弦楽四重奏団演奏会を聴きに、西宮の芸術文化センターの神戸女学院小ホールに行ってきた。

曲目は

ブラームス 弦楽四重奏曲第2番イ短調作品51−2

バルトーク 弦楽四重奏曲第4番

ラヴェル 弦楽四重奏曲ヘ長調

 

このアンサンブルを聴きに行くのは3年ぶり。 前回はベートーヴェンと Jörg Widmann を組み合わせたが、このたびはブラームス、バルトーク、ラヴェルという、19〜20世紀の古典を並べた。大好きなバルトークの4番を聴けてうれしい。

 前回とはメンバーも替わり、性別も出自も多様になった。いちばんの古株だった 2nd violin (おそらく創設者のロバート・マンの音楽を直接に受け継いだ最後の人だろう)が若い人に。そしてヴィオラの人は maternity leave とのことで代役が務めた。

メンバーが替わっても、鋭利なのに柔軟な演奏スタイルは維持されているように聴こえた。チェロのアストリッドさんの豊かで温かい音が前回と同じように印象的で、その低音の確かな支えの上に、ほかの楽器が自由自在に動き回っている感じだ。

バルトークの4番は17歳のころ初めて聴いて夢中になった曲で、学校に行くのが嫌でたまらなかった頃、この曲を聴いて自分を励ましていたのを思い出す。

何回聴いても心を奪われる曲である。2度や7度の厳しい不協和音、声部が複雑に絡み合う対位法、木々のざわめきや獣の足音や夜鳥の叫びが聞こえるような緩徐楽章、激しいピチカートやグリッサンドの引き起こす不気味な音響、それら全てを支える堅固な構成。

緩徐楽章(第3楽章)の始まり、弱音の弦の積み重なる和音の持続は、まるで笙のような、非現実な世界から聞こえるような響きである。楽譜を見てみると vibrato と non vibrato を繊細に使い分けていることに気づく。そしてこの音響の中に歌い出すチェロの、どこか東洋的な、息の長い旋律。どのようにしてこんな旋律を思いつくのだろう。天才ではないだろうか。

ほかの楽章も、全部すばらしい。何にも妥協せずに、確固とした足取りで信じた道をゆく作曲家の音楽に、そうかこういうふうに生きてもいいのか、と励まされる。

ブラームスの2番は、20代のころ愛聴した曲だけれど、改めて聴くと、弦楽四重奏という器は、ブラームスにとってはいささか窮屈な形だったのではないかと思われてくる。あふれ出てくるロマンチックな楽想を受け止めるには、もっと分厚い響き、五重奏や六重奏が必要だったのかもしれない。悪い曲ではないのだけれど、途中で少し退屈した。

おしまいのラヴェルの四重奏曲は力のこもった熱演だった。第2楽章の8分の6と4分の3拍子のヘミオラのところとか、フィナーレの変拍子など、リズムの面白さが伝わってくる。

ドビュッシーに深く傾倒したと言われるラヴェルが、その同じ弦楽四重奏曲からいかに多くを学んでいたか、わかるような気がした。ちょうど、ハイドンの弦楽四重奏曲に感銘を受けたモーツァルトが、自分も書いてみようと発奮して、彼に捧げる6曲の四重奏曲を書いたように。

このたび特に感じたのは、一つの主題をさまざまに変容させながら全楽章に使うやり方。循環主題で曲を統一する手法はすでにベルリオーズが「幻想交響曲」で試み、セザール・フランクも愛用したものだが、彼らがどちらかといえば分かりやすく素朴なやり方で主題を再登場させるのに対して、ドビュッシーは主題のリズムや音形を変えて、ちょっと聴いただけではわからないような形にする。一種の変奏といってもいいこのやり方をラヴェルも使って、冒頭の滑らかな動きの主題を、他の楽章でも色々に形を変えて使っているのを面白く聴いた。

もう一つ、ラヴェルもドビュッシーも、スケルツォにピチカートを効果的に使っているのに気づく。スケルツォにピチカートを使うのを流行らせたのはチャイコフスキー(第4交響曲)ではないかと思うのだが、例えばブルックナーの第9のスケルツォもピチカートから始まっていて、この奏法とこの形式は相性がいいのかもしれない。

そして先ほどのバルトークもまた、第4楽章では全員が弓を置いて、最初から最後までピチカートで通す。こういう徹底的なピチカートはチャイコフスキー以来初めてだっただろう。

 

ジュリアード四重奏団の新譜は2021年以来しばらく途絶えているが、近年の彼らはむしろワークショップや教育活動の方に力点を置いているようで、今回の来日でも、公演の合間を縫って日本の若い室内楽奏者たちを指導した様子を、自らの Facebook ページで紹介していた。必ずしも金銭に結びつかないであろうこのような地道な活動には心の底から脱帽したい。

3年前に聴きに行ったときの記事はこちら

francoisdassise.hatenablog.com

 

Ich kenne des Menschen nicht ペトロの否認のドイツ語をめぐって

Ich kenne des Menschen nicht. (私はその人を知らない)

これは人生で最初に覚えたドイツ語のフレーズの一つだったかもしれない。

中学3年生の冬、バッハの『マタイ受難曲』の公演に行ったときに聴いたのだった。

イエスの逮捕のあと、いったんはイエスのもとから逃げたもののまた戻ってきていた使徒ペトロを見つけた周りの人々が、お前はイエスと一緒にいたやつじゃないかと問い詰めるのに対して、彼が上のように答える。繰り返して問われるたびに否認し、三回否認した直後に鶏が鳴いたとき、以前イエスが、鶏が鳴く前に三度私を否認するであろうと予言していたことを思い出し、外に出て激しく泣く。その後に歌われるのがアルトの痛切なアリア "Erbarme dich, mein Gott" である。

このペトロのセリフにつけたバッハの音楽は非常にクリアで断言的で、ペトロの強い否定の意思が伝わってくるが、それだけに一度聞いたら忘れられない。

ところで、いまさらながら気がついたのだけれど、des Menschen と、2格になっていることに驚く。今のドイツ語なら、たいていの動詞の目的語がそうであるように、4格で den Menschen となるべきところである。

Gemini に尋ねてみたところ、古いドイツ語では、kennnen や wissen をはじめとして、感覚や認識を表す動詞(知る、恐れる、思い出すなど)は、目的語として2格を要求していたのだそうだ。

Wir gedenken der Toten. (私たちは死者を追悼する)

Es bedarf grosser Geduld. (大いなる忍耐が必要だ)

Ich erinnere mich dessen. (そのことを覚えている)

Er erfreut sich bester Gesundheit. (彼は最高に健康だ)

太字にしたところが2格になっている。

ロシア語では今でも、望む、恐れるなどの動詞の目的語に2格を要求している(желать счастья = 幸せを願う、бояться собак = 犬を恐れる など)が、それと似た思考様式であるようだ。

 

ここからまったく個人的な意見だけれども、なぜ kennen の目的語が2格なのかというと、人は何かや誰かを、常に部分的にしか知らないからではなかろうか。

2格(英仏語では属格、ロシア語では生格)の用法の一つとして、「部分」を表すというものがある。

フランス語は格変化が消滅したが、属格の名残ともいうべきものが「部分冠詞」という形で残っている。例えば

Il boit du lait. (彼は牛乳を飲む)

というときの du であるが、たくさんの牛乳のうちの一部分を飲むというニュアンスである。

ロシア語では以下のように使い分ける

Я пью молока.(私は牛乳の一部を飲む)生格

Я пью молоко. (私は牛乳のすべてを飲む)対格

英語の

He is the tallest of the three.

というときの of も同様に、全体の中の部分を示す。

こうしてみると、Ich kenne des Menschen. というとき、私が知っているのはその人の一部分である、という意味になるのではなかろうか。

一見なんでもないような格の用法のように見えるが、実際は、人間の認識の限界、誰かのことを完全に全体的に知ることなど誰もできはしないという哲学的洞察を含んでいるのである、と言ったら大げさだろうか。

 

youtu.be

現代的な脚色と演出にとまどう ガルシア・ロルカ原作『イェルマ』舞台上演

兵庫県立芸術文化センターで、ガルシア・ロルカ原作の『イェルマ』の舞台を見てきた。

オノマリコ(オノマ・リコと発音するらしい)の脚本、稲葉賀恵(有名なデザイナーとは別人)の演出。キャストはイェルマが咲妃みゆ、フアンが渡邊圭祐そのほか。

原作を大胆に書き換えた脚本で、ちょっと戸惑った。 羊の鳴き声が聞こえてジャスミンの香る情景を思い浮かべていたのだが、舞台は21世紀の日本の、おそらくマンションの一室、パソコンもスマホもある日常風景、衣装も今の時代のもので、想像とのギャップが大きい。

原作ではたくさんの歌が歌われるので、どんなふうに歌われるか楽しみにしていたのだが、イェルマが来るべき子どもを待ち望みながら独り言のように静かに歌う歌は予想通りとしても、大音量のロックのような音を鳴らして髪を振り乱しながら歌う歌は驚いた。女たちの持つ潜在的なパワーのようなものを表していたのかもしれない。ただし、伴奏の音がうるさすぎて、歌詞の日本語が聞き取れないのは致命的だと思う。

イェルマの夫フアンが実はゲイだったという設定にはびっくり。その分、話の流れは分かりやすくなるけど、身も蓋もなくなるとも言えるかな。それに、イェルマがフアンの首を絞める最後の場面も、説得力に欠けてしまった気がする。ゲイなのを隠して結婚したフアンは確かに悪いけれど、それが首を絞める理由になるだろうか。

原作では仄めかされるだけだったイェルマとビクトルの関係も、なんだかあからさますぎる気がした。

演出の意図にはっきりとしたメッセージ性があるのがわかる。「産む機械」という言葉も使われていた。子を産むことを女性の使命とみなす社会と、その使命を内面化してしまう女性の悲劇を通して、女性の自分らしい生き方を問うているのだろう。女性の生きる上での困難を問いかける脚本と演出の二人の女性の問題意識も伝わってくる。しかし、そんなふうにかんたんに要約できてしまう劇というのはいささか退屈なものだとも思う。

観劇のまえに予習したロルカの原作の中から引用してみる。

 

でも いとしい坊やはきっと来る

海が塩 大地が果実をもたらすように

女の体はきっと可愛い子をはらむ

空の雲が恵みの雨をもたらすように

(『イェルマ』第2幕第2場、牛島信明訳)

Pero tú has de venir, amor, mi niño,

porque el agua da sal, la tierra fruta,

y nuestro vientre guarda tiernos hijos

como la nube lleva dulce lluvia.

 

原作のイェルマがこのように歌うとき、彼女はただの産む機械と割り切ってしまえる存在ではないように思える。女性に押し付けられた産む義務を自分なりに捉え返して、今ここでがんじがらめに閉じ込められている自分をいつの日か解き放ってくれる何かを切実に待ち焦がれる、あこがれのようなものが感じられないだろうか。

 

配役の中では老婆役の渡辺いっけいの声が一番よく通って聞こえた。あんまり老婆らしくなかったけれど。

 



 

プラトン嫌いの読む『プロタゴラス』

人は本来善と快を求める存在であり、その反対に悪や苦を求めてしまうのは、ただ単にその人が無知であるからだ、だからこそ善悪を判断するために知を愛し知を求めることが必要だ、と説くが、少しも共感することができない。

そんな考え方では、人間の心の不条理を説明し尽くすことはできないだろう。たとえば、してはならないとわかっているからこそしてしまうポーの短編『天邪鬼』The Imp of Perverse の主人公を、あるいは、フロイトが『快感原則の彼岸』の中で「死の欲動」Todestrieb と名付けた、不快なことをあえて選ぶ行動や破壊衝動を、さらには自殺を選ぶ人の心の動きをどのように説明したらいいのだろうか。

小さな子どもが、苦労して作り上げた積み木のお城を、狂ったように笑いながら破壊するのを見るとき、我々もまた、すべてを破壊したい衝動を、自らのうちに感じることはないだろうか。

 

奴隷たちの奉仕の上に自足してあぐらをかいて哲学談義にうつつを抜かす男たちには、このようなどうしようもなくままならない人間の心の暗闇を理解することなど到底できまい。

オスカー・ワイルド『インテンションズ』あるいは芸術におけるアナキズム

学生時代以来の積読だったオスカー・ワイルド Oscar Wilde の『インテンションズ』Intentions を、このたびみすず書房から新訳(河内恵子訳)が出たのを機会にようやく読むことができた。今となっては忘れられた作家の名前を含む多くの固有名詞について、原書には注がついていないため、なかなか読みすすめられないままだったが、この訳書には親切な割注がついていて助かった。

「危険でない考えなど考えと呼ぶに値しない」An idea that is no dangerous is unworthy of being called an idea at all.

「芸術は本質的に不道徳なものである」All art is, in its essence, immoral.

など、皮肉たっぷりでアナキストで唯美的なワイルド節が炸裂する。芸術など何の役にも立たないものなのだ、役に立たなくて何が悪い、という反抗的精神が、19世紀末の英国の、役に立たないものを排除するまじめで野蛮な時代をあざ笑う。

芸術が人生を模倣するのではなくその逆であるという逆説は、AI 時代の今読むと予言的に聞こえる。art や artifact や artificial なものこそが人間の考え方や生き方をずっと支配してきたのだし、今もなお、さらに強力に支配しつづけている。AI で生成された美女に恋したり、同じ美貌を手に入れたいと思ったりなど。

ワイルドの師であったウォルター・ペイターの芸術論を想起させる箇所も多い。ペイターの名言として、全ての芸術はつねに音楽の状態に憧れる(All art constantly aspires towards the condition of music)というのがある。文学や絵画なら、それが「何を描いているか」を問わずにはいられないが、音楽ではそれを問うことはない。意味のくびきから解き放たれた音楽こそが、現実の粗雑さから自由になって、美に限りなく近づく。ワイルドが繰り返し強調する芸術の現実世界からの独立は、音楽においてこそ完全に近い形で達せられるであろう。

 

同じ時期に出たトルストイの芸術論と真逆なのが面白い(ワイルドの著作は1891年、トルストイの方は1898年に出ている)。

トルストイがその著作『芸術とはなにか』Что такое искусство の中で、芸術とは民衆のために存在し、道徳や宗教の奉仕者でなければならないと最後まで信じ切って、19世紀的な「正しい観念や道徳」の範囲内にとどまったのに対し、ワイルドは、その道徳や有用性の強制から人間を解放するために、あえて道徳を切り捨てて「遊戯」としての芸術を称揚したという点で正反対である。

ワイルドが同時代のロンドンの下層階級の貧困に言及しつつも、それを芸術として描いたり救済したりすることに強い忌避感を感じ、芸術とは無関係のものと断じたのとは反対に、トルストイは常に民衆とともにあろうとし、自らの裕福さが彼らの犠牲の上に成り立っていることに罪悪感を感じ、芸術を通じて彼らと連帯し、救おうとした。

この「民衆のための芸術」という考え方は、ソビエト連邦における社会主義リアリズムにおいて、おそらくトルストイの予想もしなかった形で継承されることになる。前衛的・退廃的な芸術を否定するところまでは同じであるが、トルストイが民衆との連帯を目指したのに対して、ソ連当局は民衆の弾圧に向かったのである。

 

ジョルジュ・サンド『笛師のむれ』 あるいは定住しない人々の音楽

ジョルジュ・サンド George Sand の長編小説『笛師のむれ』Les Maîtres sonneurs (1853)(岩波文庫、宮崎嶺雄訳)読了。戦前の、旧仮名旧字体の古い翻訳だが読みやすい。

原題の Maîtres はギルド(職能集団)の親方のことであり、他の職業と同じように音楽の世界でも、村ごとに笛吹きたちのギルドがあって、そこで試験を受けて合格して加盟しないとその村では演奏できないなどの取り決めがあったらしい。

楽譜などは基本的に存在せず、師匠から一子相伝のような形で伝授される奏法を、耳と体で覚える形で受け継いでゆく。ある意味で秘密結社のような団体でもあり、他の団体との縄張り争いのようなものも、小説の中で描かれている。

『コンシュエロ』でも示された、農民的・民俗的音楽への著者の深い愛着が、著者の故郷でもあるフランス中部の田舎の、バグパイプの楽師たちの奏でる音楽に合わせて踊る農民の踊りにあらわれる。定住せず、森の中での野宿も厭わないジプシーのような楽師たちに、農民は怯えと同時に憧れを持つ。そんな中の一人、鈍重で役立たずだったジョゼフ青年が、楽師たちに魅入られるようにしてついてゆき、自らも笛を習い始めるにつれて、次第に生き生きとしてくる。オック語 (langue d'oc)とオイル語 (langue d'oïl) の境界に位置する村の奇妙な方言、神秘に包まれた森の暗闇の描写が興味深い。『コンシュエロ』のことは前にも書いたことがある。

francoisdassise.hatenablog.com

中盤の恋の駆け引きはいささか退屈だったが、男三人に女二人の五角関係からの二組のカップル成立によって、結局はじきだされるのはジョゼフだった。しかし彼はどこまで本気で恋愛しようとしていたのだろうか。むしろ彼は何よりも音楽と、あるいはバグパイプと結婚したのではなかったか。村から村へ渡り歩き、祭りの日に演奏して村人を楽しませる旅芸人のような生活は、そもそも定住や結婚とは相容れないものだっただろう。そう考えれば、哀れとも見える彼の孤独な最期もむしろ似つかわしく、世間から隔絶した孤独な芸術家(というより芸人という方が近いか)というイメージも、いかにもロマン主義的に思える。

ショパンと同棲したことがあり、彼のピアノ音楽を愛した著者であるが、音楽への関心は芸術音楽にとどまらず、各地の民俗的な音楽に広がり深められていたことが、楽師たちの生き生きした描写に垣間見える共感からもうかがえる。

バグパイプという楽器は付属の袋に空気を溜めて、そこから送る風によって音を出すので、息継ぎで音が途切れるということがなく、ドローン (drone) と呼ばれるあの独特の長い持続音もそれによって可能になる。ためた空気を送り出して音を奏でる点ではオルガンと仕組みが同じで、いわば超小型のポータブルオルガンとでも言えそうである。

バグパイプの調べに合わせて踊られる陽気な踊りは、クラシック音楽にも、舞曲のブレー (bourrée) やミュゼット (musette) という形で取り入れられ、とりわけ後者の持続音は、バグパイプのドローンから発想されたと言われている。

こちらは私の好きなシェーンベルクの『ピアノ組曲』Suite für Klavier, op.25 からミュゼット。フランスの田舎の踊りの音楽とは何光年も離れたような12音技法によっているが、持続する低音はちゃんと聞こえてくる。

youtu.be

金木犀の香りに包まれてフランス語の小説を読む

外を歩くと金木犀の香りがどこかから漂ってきて、そうか十月になったのだと気づく。去年は確か十月末になってようやく香るようになったのを覚えているが、ことしは暦の通りに咲いてくれたらしい。

金木犀の花はあまりにもつつましく目立たないので、姿よりもまず香りでその存在に気づくのは、まるで平安時代のお姫様みたいに奥ゆかしい感じがする。その点で、咲く姿はあでやかではなやかなのに香りが全くしない桜とは好対照である。

カトリーヌ・キュセ Catherine Cusset というフランスの作家の小説『カトリックの教育』Une éducation catholique を、何の予備知識もなく偶然に手に取って読み始めたのだが、なかなか読ませる。少女時代の初聖体の思い出から始まる最初のパラグラフの最後の行で、すでに何かが起こる気配が漂う。

わかりやすいフランス語なので、試しに訳してみた

子どものころ、公教要理に行っていた。一週間に一度、十二歳半で初聖体を受けるときまで。そのことについてはほとんど思い出せない。誰が公教要理を教えていたかさえも。女の人だったかしら、神父だったかしら。うちの近くの小聖堂だったか、イエスの生涯を描いた子どもの絵で飾られた窓ガラスのある地区の建物の一階のホールだったか。ぼんやりと覚えているのは小聖堂の入り口。廊下、木の扉、顔が大きく、髪は栗色で、優しい笑みを浮かべた若い神父が目に浮かぶ。神父とすれ違う時は恥ずかしかった。あわてて「こんにちは、神父様」と呟いて目を伏せ、頬を染め、まるで言い間違えたかのように気づまりで。「神父様」という言葉はその人の着ていた黒い衣を連想させ、何かなれなれしくてわいせつなもの、ちょうど社会の窓のすきまから間違って見えてしまっている性器みたいだ。
(カトリーヌ・キュセ Catherine Cusset『カトリックの教育』Une éducation catholique 2014)

自分も昔カトリック教徒だったことがあり、二十歳過ぎたころにぱったりと行かなくなるまでは、まあまあ熱心に教会に通っていたので、この雰囲気はよくわかる。私が公教要理を教わったのは小学校二年生の夏で、「めでたし聖寵満ちみてるマリア」などのお祈りの文句を暗誦したものだった。そのころはなぜか学校で習わない漢字を覚えることに熱中していて、シスターの先生に聖寵の寵の字の書き方を教わって練習したのを覚えている。変な小学生。

「めでたし」の祈りは正式には天使祝詞といい、いわゆるアヴェ・マリアであるが、今ではもっとわかりやすい日本語に変わっているらしい。もはや教会に行かないのでよく知らないのだけれど。

どういういきさつだったか忘れたが、シスターと一対一で個人教授のようにして教わったとき、イエスの十字架の受難の場面になって、両手両足に釘を打たれる様子が語られる時は本当にぞくぞくと怖くなった。何の心配もない無垢な少年時代に、人間の残虐さというものを知り、初めて影がさしたのがこの時だっただろうか。

聖寵の字を書いている八歳のときの公教要理のノートが出てきた

 

プラトン嫌いの読む『国家』 自分で料理したことのない男の哲学など何ほどの価値があろうか

プラトンの『国家』読了。

対話篇と言いながら事実上ソクラテスの長広舌に周囲が相槌を打つだけ。好戦的で男性中心主義的な国家論なのは、ホメロスの伝統のなかで書かれたのだから当然か。正義とは何かという問いの立て方自体、ゆるぎない正義の存在を前提とし、その裏返しとして、不正とされるものへの不寛容ひいては戦争を必然的に呼び起こす。

おそらく、国家と戦争は切り離せないものなのだろう。そういう意味では、憲法第9条に謳う戦争を放棄した国家というものが、そもそも矛盾概念なのかもしれない。本当に戦争を辞めたいのなら国家を廃止する、あるいは国家の外に出る以外に選択肢はあるまい。

靴屋は靴づくりを、政治家は政治を、各人がそれぞれひとつのしごとに専念すべし、などというのは「芸人は政治に口を出すな」という昨今の言説そのもの。矛盾を含む多面的な人格のありかたを否定するような国家なんてつまらないと思う。

 

賢人による理想の国家統治を延々と語ってきた哲学者が最後になって、しかし現実の国家にはこの理想を実現できるところはないと諦めるとき、彼はほぼ同時代の荘子にやや近づいたのかもしれない。君主が訪ねてきて私の代わりに天下を治めてほしいと乞われたときに、耳が汚れた、帰れと追い返し、そもそも政治そのものを人為的な虚偽として退け、何者にも束縛されずにタオと一体化することを望んだ中国古代の賢人が、初めからロゴスを信じていなかったのとは逆に、プラトンは最後までロゴスを信じ続けていたという違いはあるかもしれないが。

先日書いた『メノン』についてのブログでも、プラトンと老荘思想を対比したが、比べてみるとプラトンの方が青臭いというか、老荘の方が大人の思想という感じがする。かたやギリシャ、かたや中国の、同じように戦乱の世を生きた二人の賢人が、もし直接対決していたら、どんな言葉を交わしていただろう。

francoisdassise.hatenablog.com

 

知を愛する自分たちを上等の人間とし、肉体労働をする形而下の人々を下等の人間とするエリート意識が鼻持ちならなくて、読むのが辛かった。きっとプラトンは自分で食事を作ったことが一度もなかったのだろう。黙っていても食事が出てくるのをあたりまえと思う人間の哲学など何ほどの価値があろうか。

 

ところで、書きながら気がついたのだけれど、長年のあいだ政治というものに全く関心が持てないまま、選挙でも棄権するか白票を投じるかしかしたことのない、この私のノンポリ的な気質はどこからきたのかというと、中学時代に読みふけった老子と荘子のせいだったのかもしれない。この人たちの文章を読んで以来、現実の世界の出来事がすべて、まるで遠くの火事のようにしか見えなくなって、今に至っている。