Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

2025-01-01から1年間の記事一覧

七の七十倍赦すべきなのか アーミッシュの赦しと性的虐待

かねてから注目していた裁判の、富山地裁の判決が10月21日に下された。当時16歳だった実の娘を強姦した男に懲役8年(求刑は懲役8年)である。「卑劣かつ悪質性の高い常習的な犯行」とのこと。8年というのはいかにも短すぎるように感じるが、強姦の日時と場所…

憎むことをやめる勇気 韓国ドラマ『君の声が聞こえる』感想

配信で韓国ドラマ『君の声が聞こえる 너의 목소리가 들려』(2013)を見た。 ああ、久しぶりにいいドラマを見たな、と今でも余韻に浸っている。少し古い作品なのだけれど、まったく古さを感じない。構成がうまくて、次はどうなるか期待を持たせる終わり方で…

究極の恋愛小説 アイリス・マードック『ブラック・プリンス』再読

アイリス・マードック Iris Murdoch の長編小説『ブラック・プリンス』The Black Prince (1973)を、鈴木寧による訳書(講談社、1976)で読了。 学生時代、原書を読む訓練をかねて、何冊かこの20世紀のアイルランドの作家を読んだ中で、"Nuns and Soldiers"(198…

男女の役割の顛倒 台湾の作家李昂の小説二つを読んで

李昂(Li Ang, リー・アン)は1952年台湾生まれ。男女の役割を逆転させることによって私たちの固定観念を鮮やかに覆してくれる作家である。彼女の書いた中から2つの小説を取り上げたい。 『眠れる美男』(原題『睡美男』)は李昂が2017年に発表した小説。 …

『非暴力主義の誕生』あるいは原初的思想の強靭さ

踊共二著『非暴力主義の誕生』(2025)読了。 今年(2025年)は、再洗礼派が誕生して500年目の年だという。 ルターの宗教改革(1517)と相前後して生まれたメノナイト(Mennonite)やアーミッシュ(Amish)などを含む再洗礼派(Anabaptists)と呼ばれるキリスト教…

日本の植民地政策への新たな視点 愼蒼宇著『朝鮮植民地戦争』を読む

愼蒼宇著『朝鮮植民地戦争』(2024年、有志舎)を読了。 日本国の歴史ではこれを戦争と名づけてこなかったし、学校で習ったときも、韓国併合も三・一独立運動も関東大震災での虐殺もバラバラの個別の事件として出てきたが、本書のようにその因果関係と関わっ…

ギターという反ロマン的な楽器の響き ティボー・ガルシア演奏会を聴いて

カール・リヒターやロストロポーヴィチの重厚で骨太のバッハを聴いて育ってきた私にとって、ティボー・ガルシア Thibaut Garcia のギターによるバッハのしなやかで軽やかな演奏は、同じ作曲家とは思えないほどだった。もちろん楽器の特性もあるだろう。音量…

木下尚江『良人の自白』あるいは歓待の精神

木下尚江の小説『良人の自白』読了。 二人の対照的な人物、俊三と與三郎。幼馴染でありながら、前者はエリートのインテリで地主の跡継ぎ、後者はその地主の苛斂誅求に苦しむ小作人であり、地主とその後継者への敵意と復讐心を隠そうともしない。俊三自身が幼…

台湾ドラマ『最初の花の香り』に見るポリアモリーの可能性

台湾のドラマ『最初の花の香り(第一次遇見花香的那刻/Fragrance of the First Flower)』を見た。監督はエンジェル・テン(Angel Teng 鄧依涵)、1990年生まれとのこと。 台湾のクィアの映画・ドラマの水準の高さは、前にネトフリで見た『此時此刻 (At the…

子を捨てる、あるいは親に捨てられるということ 韓国ドラマ『初、恋のために』を見て

ヨム・ジョンア、パク・へジュン他出演『初、恋のために 첫, 사랑을 위하여/Love, Take Two』を見る。 この作品で元夫婦を演じるパク・へジュンとオ・ナラは『マイ・ディア・ミスター』では元恋人同士だったし、村長夫婦も『マイディア』に出ていたし、ヒロ…

武田泰淳『快楽』を読んで宗教と社会主義の関係を考える

武田泰淳著『快楽』(1973年)読了。 かいらくと読めば世俗的・肉体的な快楽、けらくと読めば仏教的な法悦。しかしこの両者はどのように違うのか、区別する必要があるのか。 つくづく中絶が惜しまれるが、完結していればドストエフスキーに比肩する深さをも…

木下尚江『墓場』あるいは鼓腹撃壌の不可能

木下尚江『墓場』(1908)読了。 日露戦争の勝利の美酒に酔う浮ついた世相に、この陰鬱な小説はさぞ場違いだったことだろう。 エピグラフにはヨハネ伝第3章のイエスとニコデモの対話から「人若し生まれ替はるに非れば、神の国を見ること能わず」の一句が引用…

『赤道下の朝鮮人叛乱』に見る日本国の無責任

内海愛子・村井吉敬共著『赤道下の朝鮮人叛乱』(1980年)読了。 志願とは名ばかりで事実上は徴用され、日本軍軍属としてインドネシアに派遣された朝鮮人たちは、上官から民族差別的な侮辱の言葉を日々浴びせられつつ、俘虜の管理という末端の仕事に従事する…

円地文子『私も燃えている』、リヒャルト・シュトラウス『九月』、有吉佐和子の短篇集について

9月6日 円地文子『私も燃えている』(1959年)読了。 登場人物同士が偶然に出会う場面が多く、全員が著者の操り人形のようで、それが物語のリアリティを弱めている気がした。さらに、何人もの女を泣かせて、自分は研究一筋で、しかしいざとなると自分の身を…

大江健三郎『水死」あるいは不器用な老作家の metoo への連帯

それがこの国で現に百四十年間、償われていないからです。「メイスケ母」は、強姦されたまま、いまも強姦されてるんだと、その恐ろしいことそのものを、表現するんです。 大江健三郎の長編小説『水死』(2009)の終盤、劇団員ウナイコの、この怒りと確信と、…

流れに逆らわずに生きること 有吉佐和子『紀ノ川』を読んで

有吉佐和子はここ数年でよく読むようになったが、物語を読む醍醐味を味わわせてくれる好きな作家の一人である。今までに読んだのは『連舞』『仮縫』『更紗夫人』『悪女について』『開幕ベルは華やかに』『和宮様御留』など。彼女の小説によく出てくる、芯の…

『ウナイ 透明な闇 PFAS 汚染に立ち向かう』に見る〈妹の力〉

京都シネマで封切られたばかりの映画『ウナイ 透明な闇 PFAS 汚染に立ち向かう』を見てきた。 身近な環境汚染をめぐって、一人の女性のいてもたってもいられないような不安がもう一人の女性を触発し、そこから生まれた小さなドキュメンタリーがまた別の女性…

源氏物語の皮肉な語り直し 円地文子『女坂』を読む

円地文子『女坂』(1957年)読了。 三人の着飾った女たちが菖蒲園の花を愛でる場面のあでやかさは谷崎潤一郎の『細雪』に出てくる姉妹の花見を思い出させるが、この三人が姉妹ではなく、二人は妾、あとの一人は息子の嫁だがどうやら舅の手がついているらしく…

すべてを捨てて身一つになること 木下尚江『乞食』を読む

姦通の女に石を投げるよりも難しいのは、そういう自分は無罪なのかと胸に手を当てて自省することであり、社会の不正や不平等を糾弾するよりも難しいのは、そのように批判する自分自身こそ驕り高ぶっていると自覚して、自己批判をすることではないだろうか。 …

〈あいだ〉を生きる人々 アルンダティ・ロイ『至上の幸福をつかさどる家』感想

アルンダティ・ロイ Arundhati Roy の長編小説『至上の幸福をつかさどる家』The Ministry of Utmost Happiness 読了。 このごろスーフィズムの宗教歌謡カッワーリー qawwali に親しんだり、インドにおける第三の性ヒジュラー hijra についての本を読んでいた…

ただうなだれて聴くしかない ブリテン『戦争レクイエム』

第一次大戦に従軍して凄惨な戦場の中で詩を書き、若くして戦死したウィルフレッド・オーウェン Wilfred Owen の詩で昔から好きなのは "Dulce et Decorum Est"と題された詩だった。 ドイツ軍による毒ガスを吸って、苦悶しながら死んでゆく戦友の様子を語り、…

恋愛以上に濃密なかかわり 映画『ラブ・イン・ザ・ビッグ・シティ』を見る

京都の出町座で映画『ラブ・イン・ザ・ビッグ・シティ』を見てきた。 異性愛の女性と同性愛の男性という、絶対に恋愛になりえない二人のルームシェア、その関係性は、例えばヘテロ男性二人の友情とはまた違って、互いの異質さに気づき、理解し合えないにもか…

まじめすぎてユーモアがない 映画『HAPPYEND』を見て

空音央監督の『HAPPYEND』を見た。 この映画を作った人はまじめな人なんだろうな。出ている人物もみんな、校長や総理大臣も含めてまじめ。一人だけおちゃらけた生徒がいるけれど、それがみんなに波及せず、一人浮き上がっている。権力に抵抗するのはなにより…

徳富蘆花『不如帰』あるいは女であることの絶望

徳富蘆花『不如帰』読了。同じ時期に喀血した正岡子規が、血を吐いて啼くと言われるホトトギスにちなんで俳号をつけたように、本書のヒロインもまた肺結核によって苦しむ。「帰るに如かず」の当て字からは、不幸ばかりに見舞われたこの世を離れて、早く森に…

鄭玹汀『木下尚江 その生涯と思想』再読 選挙制度への懐疑と無抵抗主義と

気の滅入るような騒がしい選挙の季節がようやく終わったいま、あらためて鄭玹汀著『木下尚江 その生涯と思想』(平凡社)をひもといている。 早くから普通選挙の実現のために運動し、衆議院選挙にも二度立候補した木下が、その後半生において、まるで憑きも…

ダヴィデ王のメタファーとしてのサトペン フォークナー『アブサロム、アブサロム!』を読んで

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』読了。アブサロムに相当するのがヘンリーなのだとすれば、ダヴィデに当たるのがサトペンと言えるだろうか。先住民を容赦なく追い出して自らの王国を建設するのも、異なる民族の血が少しでも混じったら離縁したり殺…

地獄とは家族である 映画『愛されなくても別に』を見て

井樫彩監督の撮る静謐で繊細な映像は、『真っ赤な星』を見たときに深い印象とともに忘れられないものとなったが、このたび見た『愛されなくても別に』でも、暴力的な場面もあるにもかかわらず、その印象は変わらない。たとえばごく近い距離から俳優の表情を…

『さまよえるオランダ人』を見てミソジニーを考える

ワーグナーのオペラを見るのは学生時代に二期会の『ワルキューレ』を見て以来で、『さまよえるオランダ人』も、序曲と有名な合唱曲ぐらいしか知らなかったので、新鮮な気持ちで見ることができた。佐渡裕指揮、兵庫芸術センター管弦楽団他による演奏、演出は…

鄭玹汀『木下尚江 その生涯と思想』を読んで

その思想があまりにも時代に先駆けていたために、危険とさえ見られてきたゆえだろうか、いまだに文学史でも思想史でも正当な評価がなされていないように思われる作家・木下尚江の評伝が、畏敬する研究者、鄭玹汀さんの筆によってこのたび上梓されたことを、…

男性の攻撃性の拒絶 映画『一月の声に歓びを刻め』を観て

三島有紀子監督の去年公開された映画『一月の声に歓びを刻め』を観た。 次女が幼いころ性暴力を受けたあと遺体で発見された洞爺湖岸に向かって、深い雪の中をよろめきながら、うめきながら歩き、「れいこ!辛かったな!お前は汚れてなんかいねえ!」と叫ぶマ…