内海愛子・村井吉敬共著『赤道下の朝鮮人叛乱』(1980年)読了。
志願とは名ばかりで事実上は徴用され、日本軍軍属としてインドネシアに派遣された朝鮮人たちは、上官から民族差別的な侮辱の言葉を日々浴びせられつつ、俘虜の管理という末端の仕事に従事する。乏しい食糧・蔓延する疫病・過酷な労働という、俘虜の人道的な扱いに関する条約を無視した待遇で次々に死んでゆく俘虜たちにもかかわらず、労働のノルマは厳しいままで、間に立って板挟みになる朝鮮人たちの苦悩が伝わってくる。
情報は統制されていても戦局の悪化は仲間の間に伝わり、独立の日が近いことを感知した彼らは、叛乱の謀議をし、革命歌を作って歌って気焔をあげる。侮辱に耐えかねて上官を殴る者、鉄道工事の苦役から脱走する者もいる。叛乱は内通者のために露顕し、逮捕され懲役刑が科されるが、その矢先にポツダム宣言受諾となる。
敗戦後は帰国する者もいる一方、5年にわたるインドネシア独立運動に関わって命を落し、インドネシア国から表彰される者もいれば、捕虜虐待のかどで逮捕・処刑される者もいる。それらのあらゆる局面において、徴用した側の日本国の無責任が際立つ。あれだけ酷使しておきながら、戦争の終わった後は知らぬふりなのだ。
かつて植民地支配をした国の国民として痛切な罪責感をもちつつ、韓国やインドネシアで関係者の聞き取りを行う著者たちの姿勢が印象的だった。
