Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノリサイタルを聴く

ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノリサイタル。大阪・福島のザ・シンフォニーホールで聴いてきました。

 

はじめに演奏されたショパン幻想ポロネーズ」は愛してやまない曲。ポロネーズという曲種はどちらかといえば苦手で、一つにはABAのわかりやすすぎる形式のため、一つにはポロネーズ特有のタンタカタッタンタンのリズムがつねに顕在して、ときにはうるさいほど執拗にきこえるためなのですが、ショパンのこの曲に限っては形式的にも予断を許さないし、ポロネーズのリズムも、確かにそこに伏流していてもごくたまに顔をのぞかせるだけで、それは水面近くを泳ぐ魚がときおりぴしゃんと跳ねたり、踊っている女性の裳裾からときおりちらっと脚が現れたりするのに似て、それが顕在化するときには聴く者にその生き生きとした実在を思い出させてくれて、このようなポロネーズを書いたのはただショパンだけだし、彼がもう少し長く生きたらどんな曲を書いただろうか、いや、迫りくる死を身近に感じていた人だからこそ書けた音楽なのかしら、などと想像してみたくなります。
ショパンのあとシュピルマンとヴァインベルク。三人ともポーランドの人で、故国の悲劇に巻き込まれたことも共通していて、ショパンは祖国を離れたあと革命が起きて二度と帰れなくなったのだし、あとの二人はユダヤの血筋のために家族全員を絶滅収容所で亡くしています。
シュピルマンのは機械化の時代を皮肉ったような才気あふれる音楽、ヴァインベルクは何か乾いた叙情といえばいいか、人生の悲劇への感傷などみじんもない、淡々とした音楽でした。
休憩のあと生誕150年のラフマニノフ。前半の三人と同様彼も、故国の革命に人生を翻弄された生涯で、この日のプログラムの共通のテーマは〈流謫〉なのだと気づきます。
ラフマニノフショパンもピアノの技巧の限りを尽くして書いた作曲家ですが、違いがあるとすれば、ショパンが始めから終わりまでピアノ的発想だったのに比べて、ラフマニノフにはピアノを超えた何かへの希求があるように思えて、たとえばピアノの音なのにフルートのパッセージや金管の和音や打楽器の乱打が聴こえるような錯覚を覚えるのでした。
三曲のアンコールのうちの一曲めはシュピルマンマズルカ、これはまるでショパンへのオマージュのような、短いのに痛切な調べ。そのあとショパンのワルツとマズルカでした。


シュピルマンをモデルにした映画『戦場のピアニスト』で、彼の弾くピアノに感銘を受けたドイツ軍の将校が、彼の潜伏先にひそかに食糧を届け、自分のコートを脱いで与える場面がありましたが、音楽にそのような力、敵味方を超えて気持ちを通じさせる力があるのでしょうか。あると信じたいけれど、それにしては戦争がこんなにも長引くのはなぜなのかしら、などと思うのでした。

ザ・シンフォニーホールを訪れるのは多分今世紀になって初めてですが、見慣れないのっぽのビルがいくつも建ってすっかり風景が変っていて、浦島太郎の気分になっている自分がいました。