Dolcissima Mia Vita

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スウェーリンク歿後400年

高校生のころ、FM放送の皆川達夫の水先案内で知って以来、スウェーリンクは好きな作曲家のひとり。

ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク (Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562-1621) の、ことしは歿後400年である。
今日聴いたのはニ調のファンタジア 

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Fantasia by J.P.Sweelinck



フラット1つでニ短調みたいなのに終止の和音はト長調の主和音。教会旋法ドーリア調というらしい。
もともとオルガンのための曲なのをグレン・グールドがピアノで弾くのを聴いて好きになったのだった。
主題をひっくり返したり引き伸ばしたりしながらフーガ的に展開する一方、変奏曲の要素もあり、最後のところは超絶技巧。どの主題もたがいに関連していて、無駄な音がほとんどない点で、ウェーベルンの音楽を連想する。

スウェーリンクの生涯はクラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)のそれとほぼ重なる。つまり時代としてはバロックの初期なのだが、古めかしい旋法や複雑な対位法を用いているところなどから、彼の音楽はむしろ前の時代のルネサンス音楽の遺産を受け継いでいるように聴こえる。

その一方、この曲の終盤の劇的な盛り上がりは、清澄なルネサンス音楽よりも、モンテヴェルディらの新しい時代の息吹を感じさせる。

ルネサンスの末期とバロックの初期の分水嶺のようなところに位置して、その両方の魅力を兼ね備えているといえるだろうか。

ちょうどJ.S.バッハが、バロックと古典派の過渡期にいたように。あるいはシェーンベルクが、後期ロマン派と20世紀音楽のはざまにいたように。

生涯をアムステルダムとその周辺ですごしたスウェーリンクの時代は、オランダがスペインのくびきから脱して独立し、植民地を広げて経済が大いに栄え、日本まで足を延ばして世界に覇を唱える黄金時代だった。ルーベンスブリューゲルスピノザデカルトのいた時代に、こんな音楽が鳴り響いていたのだった。

多くの優秀な弟子を育てたことでも名高く、愛弟子のハインリヒ・シャイデマンからヨハン・アダム・ラインケン、ディートリヒ・ブクステフーデをへてJ.S. バッハにいたる北ヨーロッパのオルガン音楽の系譜の最初に位置している。

名声は海外にもおよび、英国で出版された Fitzwilliam Virginal Book には、ウィリアム・バードやジョン・ブルら英国の作曲家に交じってスウェーリンクの作品も収められている。

ウィリアム・バード(1543-1623) もスウェーリンクの同時代人で、ふたりの作曲様式もよく似ている。ドーバー海峡を隔てて相互に影響しあったのだろうか。

英国では当時国教会によるカトリック教徒への弾圧が熾烈を極めていて、ウィリアム・バードのようにカトリックでありながら国教会のための音楽を書いたりする人もいれば、弾圧を避けてオランダなどに亡命する人も多く、行き来は盛んだっただろう。ちなみに、プロテスタントが主流だったオランダで、スウェーリンクはカトリックだったらしい。

グールドの演奏するスウェーリンクのファンタジアの演奏がYouTubeにあったので貼っておきます。

 


Glenn Gould, live, Salzburg - Sweelink, Organ Fantasy

 1959年、デビューからまもないころの、まだコンサートをしていたころのグールドの、ザルツブルクでのライブ録音。対位法の明晰、左手の雄弁。ライブということもあって終盤では情熱的に盛り上がる。

同じリサイタルではモーツァルトソナタシェーンベルク組曲作品25、そしてバッハのゴールドベルクを演奏している。

音楽史分水嶺の3人、スウェーリンク・バッハ・シェーンベルクを組み合わせた、まことにグールドらしいプログラムである。