Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

2020年はこんな本を読んだ

2020年に読んだ本のなかから特に心に残ったものを何冊か。

 

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鄭玹汀『天皇制国家と女性』は、教育勅語の発布をきっかけにして天皇中心の国家主義にすり寄っていく同時代のプロテスタントの牧師たちと対比して、木下尚江の、決して権力に媚びない孤高の思想をもって、普選運動や廃娼運動に取り組んでゆく姿を鮮やかに描いている。著者はいま木下の評伝を執筆中とのことで、出版されたらぜひとも読もうと思って楽しみにしている。

国家と宗教の葛藤という点では、アントニア・フレイザー『信仰とテロリズム』と御園敬介『ジャンセニスム 生成する異端』の二冊も。前者は英国の17世紀初頭のジェームズ1世時代の、国教会によるカトリック弾圧(それは国会議事堂爆破未遂事件で頂点に達する)を、後者は17世紀後半のフランスにおける、恩寵と自由意志をめぐる教義の異端性を指摘されてカトリック教会と政権から迫害を受けるジャンセニストを描く。

田川建三による新約聖書の訳と註、このたび読んだのはいわゆる公同書簡ヘブライ書。とくにヤコブ書の、きれいごとを言う前に目の前の寡婦と孤児を助けよと説き、古代資本主義のシステムに抑圧される不払い労働者の叫びを代弁するメッセージは、現代にも通じる尖鋭性をもつ。本文の何倍もの註で先行訳をこてんぱんにやっつけるのを読むと、今まで何を読まされてきたのだろうと思う。

シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵ナサニエル・ホーソーン『緋文字』の二冊は恥ずかしながら初めて読む。どちらも原書を横に置きながら。

「浄化のためのひとつの方法、それは神に祈ること、ただ人間から隠れて祈るだけでなく、神は存在しないと考えて祈ること」Un mode de purification : prier Dieu, non seulement en secret par rapport aux hommes, mais en pensant que Dieu n’existe pas.というのは私の好きなヴェイユのことば。同時代のディートリヒ・ボンヘッファーの「神とともに、神なしで生きる」思想ともつながる。

『緋文字』のヒロイン・ヘスターが、罪と恥辱の極みのなかで見出す逆説の聖性は、語りなおされた聖母マリアの物語と読むことができるような気がする。

もはや男女平等は達成したからフェミニズムなどもういらないというような説を聞くようになったが、レティシア・コロンバニ『彼女たちの部屋』や上間陽子『裸足で逃げる』などを読めば、それが妄言でしかないとわかる。前者はフランスのパリ、後者は沖縄と場所は違うけれども、暴力や虐待や搾取やネグレクトのために行き場を失っている女性たちがいまもいること。彼女らに屋根を提供し、泣きだしたら泣き止むまでじっとそばにいる傾聴者の存在のかけがえのなさ。

暴力はつねに強者から弱者に向かう。沖縄ではなによりも米軍という巨大な暴力が肩で風を切って歩いていて、それが何重にも濃縮されて、貧困者や女性や子どもに振り下ろされていると言えるだろうか。上間さんの本のほかに辺見庸目取真俊『沖縄と国家』三上智恵沖縄スパイ戦史』を読んでそのように考えた。

生田武志『いのちへの礼儀』とスナウラ・テイラー『荷を引く獣たち』で、いままでの世界観をゆるがされる気がする。種差別 speciesism ということばを初めて知った。性差別や人種差別を批判するよりもまず、動物への虐待や工業畜産で動物を差別してはいないだろうか。もしかしたら人類が最強最悪の外来種で、人類の滅亡の後に、動物たちの楽園が訪れるのかもしれない。