Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

『ペレアスとメリザンド』再読

完結しない言葉。宙吊りにされて浮遊する言葉。確実なものは何一つなく。夢の中でのように、非現実にふるまう登場人物たち。メリザンドの生い立ちについてもなにひとつ明かされない。森の奥の泉での、途切れがちな会話。劇ではなく、まるで詩のように、あるいは音楽のように、読まれる。

森で道に迷うゴローだけでなく、だれもが深い霧のようなもののなかで迷っているように見える。たびたびあらわれる「盲目」のモチーフ。だれもが視力を失い、どこに行こうとしているのかわからない。

トリスタンとイゾルデ的な婚外恋愛の物語であり、主人公メリザンドとメリュジーヌはたぶん語源が同じで、水の妖精の系譜に連なる物語でもあり、塔の上から垂れる髪はラプンツェル物語も連想させ、世紀末のラファエル前派的なミステリアスな女性のイメージも重なる。

このたび再読して、登場人物が二人称代名詞 tu と vous をどのように使い分けているか考えてみた。

森で泣いている謎の女性メリザンドにはじめは vous で話しかけるゴロー。正確に言えば第一声は Pourquoi pleures-tu? (なぜ泣いているの)なのだが、彼女のただならぬ雰囲気に圧倒されてそのあとすぐに vous に変る。

そして結婚したあとは当然のように tu で呼びかける。ところが彼がが tu で呼んでもメリザンドは vous でしか答えず、会話はかみ合わない。配偶者を tu で呼ぶのは彼女にとっては当然ではないのである。

しかし、一度だけ彼女が tu で呼ぶ場面があって、それは死の床で、許しを乞うゴローに、「ええ、許します」Oui, oui, je te pardonne. と答えるところだった。

たったひとことの千鈞の重み。

髪をつかんで引きずり回すような暴力をふるうゴローをなぜ許したのだろう。それでも、このひとことでゴローは救われたのではないだろうか。フェミニズムの観点から見れば、女性のやさしさに救われる男性の身勝手にすぎないと思うけれども。

一方、はじめ vous で呼び合っていたペレアスとメリザンドが互いに tu に呼び合うようになるのは塔の場面からだった。その前まで、失くした指輪を探して昏い水の底に注いでいた視線はここで上を向き、上からは光の束のようなメリザンドの髪が降り注ぎ、星々は明るく輝く。下から上の、そして暗から明の劇的な変化。

最後の密会の場面で、メリザンドはふたたび、tu で語りかけるペレアスに vous で答える。まるで距離を縮めることをためらうかのように。それがまた tu に戻るのは je t'aime aussi「私もあなたが好き」の決定的な瞬間。ドビュッシーのオペラではここで全管弦楽が沈黙し、聞き逃してしまうほど小さな声で、ささやくように愛が告げられる。

アルケルのいうように「人の魂というものはとてもしずかな silencieuse ものなのだ」

 

ペレアスとメリザンド』を音楽にしたものの中ではむかしからシェーンベルク交響詩が好きだった。遅れて好きになったのはドビュッシーのオペラ。

シェーンベルクドビュッシーに先を越されて悔しがったらしい。ほんとうはオペラを書きたかったが交響詩に計画を変更した。もしもオペラを書いていたらどんな音楽になっていただろう。


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