Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

インバルのマーラー10番

ようやく大阪にもエリアフ・インバルが来てくれて、マーラーのなかでも特別に好きな第10交響曲を聴きにいきました。

デリック・クックによる補筆完成版はめったに演奏されることがなく、大阪フィルにとっても初めてなのだそうです。私が実演で聴くのも、20代に若杉弘都響で聴いて以来。

 

インバルはクック版に早くから取り組み、個人的にも知り合い、実際に演奏したあとに意見を述べ、それが改訂版に反映され、今回のは何度めかの改訂を経た最新のバージョンとのこと。クックの死後も後継者が少しずつ筆を加えられる work in progress の形になっているなんて、なんだかすてきです。作曲者も喜んでいるのではないでしょうか。芸術作品というものは、個人の占有物ではなくてみんなの共有するもののはずですよね。
聴いてみて、聴き慣れている古いクック版とどのように違うのか、なんかいつもと違うなあというところはあったけれど、よくわかりませんでした。

インバルの指揮は、細部まで知り尽くした人だけに、明晰で理知的。声部が複雑にからみあうところも、まるで澄んだ水の中の魚が全部見えるみたいに透明に聴こえてきます。
マーラーのこの曲そのものが、透明感を感じさせる、とも言えます。中期の巨大な編成よりはひと回り小さく、あちこちでテクスチャーが薄くなってソロが出てくるところはまるで室内楽みたい。第1楽章では打楽器がずっと沈黙したままで、あのトーンクラスターのような恐ろしいクライマックスの和音でさえ、どこか透きとおったところがある。

もっとドロドロとして狂気すれすれの、のたうちまわるような濃厚なマーラーの演奏もありうるし、個人的にはそういう演奏のほうが好きです。今夜のインバルも、あっさりしすぎとも言えるかもしれない。第1楽章のテンポも、すこし早すぎる気がして、もっとたっぷり歌ってほしいなどと思います。しかし、この第10交響曲に関しては、こういうあっさりしたアプローチのほうが、むしろ曲の特異性をよりあざやかに表現できるのかもしれません。

インバルによれば、第9交響曲は死を表現し、第10は死後の世界なのだそうです。私はそのような標題的な聴き方は好みませんが、人生の修羅を経たあと、どこか吹っ切れたような、澄みきった彼岸性とでもいうべきものが、きょうのこの演奏からは感じられました。

 

終演後帰ろうとしたら、Bravo と大書した横断幕を掲げている人が客席にいて、ちょっとびっくりしました

開演前の韓国料理店にて。楽譜のとなりにあるのは黒豆マッコリです。