Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

大阪フィル定期演奏会を聴いた

ブルックナーのなかでも特別に好きな第5交響曲を、尾高忠明と大阪フィルが演奏すると聞き、主夫のお休みをもらって聴きに行ってきました。
会場のフェスティバルホール、改築後に行くのは初めて。残響が少なくてクリアに聴こえる印象。
この曲の出だし、低弦のひそやかなピチカートに乗って高音の弦が模倣的に歌い交わすところはまるでバッハみたい。平均律第1巻の最後のロ短調前奏曲のように。
その直後の金管のコラールもバッハ的で、この曲ぜんたいがバッハへのオマージュなのではないかと思います。
なんといっても聴きどころはフィナーレで、二つの対照的な主題の織り成すフーガはいつ聴いてもすばらしい。
この日の演奏は若々しく力強い推進力にあふれていました。大阪フィルは20世紀末に聴いて以来ですが、若い奏者も多く、それが全体の生気にもつながっているようです。
ただ、私がこの曲に持っていたのはもうすこし重く、時として不器用な、中年男のイメージでした。
たとえばフィナーレで、2つの主題が組み合わされて壮大なクライマックスを築いたあとのこの場面

f:id:fransiscoofassisi:20211217170614j:plain



のっしのっしと足を踏みしめて坂を登り、登りつめたところで急に下りになるような音楽。
楽譜ではすべての弦楽器のすべての音符にアクセント記号とダウン記号がついています。
ダウン、つまり弓を上から下に弾く、すべての音を。
この音型ははじめのフーガ主題の最後の3つの音から派生したものですが、やはりそこにもダウン記号があり、「すべての弦楽器は主題の最後の3つの音を、いつもダウンで弾くこと」という脚注までついている。

f:id:fransiscoofassisi:20220211141735j:plain


ふつうはこういうところでは、アップダウンを交互に弾きますよね。そのほうがずっと弾きやすい。
しかし作曲家は、あえて弾きにくいやり方を指示している。
簡単に登れるような坂ではない。たとえ鈍重になっても、一歩一歩踏みしめて登ってほしい、それがブルックナーの意図ではないでしょうか。
ところが、この場所を指示通りに弾いている演奏はあまりないようです。弾きやすい方を選んだために、簡単に登れる坂になり、なんだか軽くてスカスカした印象になってしまう。
この日の演奏も、期待していたのですが、やはり弾きやすい方で、少し残念でした。

オーケストラの演奏会はひさしぶりでした。
演奏が終わってすぐに拍手、ではなく、数秒間の沈黙があったのもとてもよかった。良い聴衆。
普段は電気的な再生装置で、耳の先っぽで音楽を聴いていますが、バッハのオルガン曲やブルックナーの音楽は、生の音を全身に浴びるようにして聴きたいものだ、と改めて思いました。