ことしはガブリエル・フォーレの没後100年で、先日11月4日が命日である。
昔から彼の室内楽が好きで、ここ10年ほどは歌曲も好んで聴くようになったが、記念の年にあらためてこのフランスの作曲家の音楽を聴き直している。
ヴァイオリンソナタは2曲あって、若い頃の第1番と、1917年に70代で書かれた第2番とあり、演奏頻度はたぶん100対1ぐらいで前者の方が高いのだけれど、個人的に好きで、くりかえし聴かずにはいられないのは第2番の方。
1917年といえば第一次大戦でフランスはドイツとの戦争の真っ只中にあり、作曲家自身も聴覚障害に悩まされ、落ち着いて作曲もできないような状況だったはずなのに、音楽は凛として緊張感にあふれ、いささかの感傷もない。聴くものに媚びるような甘いメロディは聴かれないかわりに、何か未聞の響き、聴覚を失いつつある者の耳だけが捉えうるのかもしれない玄妙な響き、あるいは彼が少年時代にニデルメイエル音楽学校で聴いて以来馴染んできた教会音楽の古い旋法のような響きが聴かれる。若い頃に書いた歌曲「リディア」作品4で早くもリディア旋法を用いたフォーレにとって、近代的な長調短調にとらわれない響きへの憧れは終生変わらなかった。
このころはもうストラヴィンスキーやシェーンベルクの、調性を捨てた音楽の時代になっていたが、フォーレは少なくとも表向きは、ホ短調でこの曲を書いている。それでも和音の動きは複雑で予断をゆるさず、第1楽章の展開部などはほとんど無調に近づくようなところもあり、そこから無理やりのように協和音に持ち込んで曲を終わらせる、その無理やりな感じがたまらなく好きだ。まるで人生みたいだと思って。矛盾と齟齬と軋轢の不協和音の嵐のような一日でも、最後にはいつものように日が暮れて、甘い夜が来るみたいに。
この曲のフィナーレの、始まってしばらくして、副主題というのか第2主題というのか、はじめピアノで、続いてヴァイオリンに引き継がれて歌われるメロディが大好き。変ロ長調でありながらハ長調のようでもあるふしぎなメロディライン、伴奏の和音も不協和で、それなのになんでこんなに美しいのだろう。どうしたらこんな旋律が頭に浮かんでくるのだろう。
Judith Ingolfsson のヴァイオリン、Vladimir Stoupel のピアノによるこのフィナーレの演奏の動画。この美しいメロディが聴かれるのは1分15秒のあたりから
Stoupel