お昼ごはんの支度をしながらシェーンベルクの木管五重奏曲作品26を聴いていたら、妻が帰ってきたので、思わず「ごめん、変な曲聴いていて」と謝ってしまった。
「聴いている人に謝らせるような曲を書く人もどうかと思うわ」と妻。
それでもこの曲、なかなかチャーミングではないかと思うようになった今日このごろです。
20代のころ、ニコレやホリガーらの名手のアンサンブルのCDではじめて聴いたときはピンとこなかったのだけれど。
あらためて聴いて感じるのはあふれるような潑溂とした生気と諧謔。音楽をすることの喜び。
フルートがピッコロに持ち替える第二楽章など、踊りだしたくなるような躍動感です。ウインナワルツのようなリズムも聴こえます。
対位法の密度の濃い、各楽器に超絶技巧を要求するものでありながら、あくまでも軽やかで、なまめかしくもある。
十二音の音列とか難しいことはわからなくても、音楽そのものの魅力が、聴いていて伝わってくる。
第一楽章の冒頭の指示は Schwungvoll つまり「スイングして」
これはジャズなんだな、と思った。ちょうどこの曲が作曲されている1920年代初頭、ジャズが流行りだして、ラヴェルやストラヴィンスキーなど、多くの作曲家が影響を受けた。
シェーンベルクは通俗的な音楽一般を軽蔑していたようだけれど、ジャズに無関心だったとは思われない。
楽譜の冒頭に献辞があって、Dem Bubi Arnold とある。
お孫さんのアルノルト(おじいちゃんと同じ名前)に献呈されたらしい。
12音技法を本格的に使った初めての曲を孫に捧げるというのが面白い。
おそらくまだ幼かったであろうアルノルト坊やがこれを喜んでくれると思ったのだろうか。
赤ちゃんのころから無調や十二音の音楽を子守唄のように聴かせたら、人はこれらをなんの留保もなく美しいと感じて口ずさむようになるのだろうか。
この曲が発表された1920年代初頭、まるで申し合わせたように管楽器のアンサンブルの傑作が世に出ている。
ヒンデミットやニールセンの五重奏曲。ヤナーチェクの六重奏曲「青春」。ストラヴィンスキーの八重奏曲。ベニー・グッドマンなど同時代のジャズの名手に触発されたのだろうと思われる。
いま本が手元にないので記憶をたよりに書くけれど、先日『シェーンベルク音楽論』を読んでいたら、彼が日本の音楽をコテンパンにこきおろしていて、日本が戦争に負けてよかった、もし勝っていたらあのような没構造の低級な民族音楽が世界標準になっていたはずだから、と書いていた。ヒトラーのナチズムの人種差別を激しく非難して「ワルシャワの生き残り」をはじめとする告発の音楽を書いたその人が、音楽に関しては偏狭な差別主義者だったのは面白いことだ。
シェーンベルクの民族音楽嫌いは一貫していて、たとえばベートーヴェンがラズモフスキー四重奏曲にロシア民謡を使ったことまで非難している。
You Tubeでみごとな演奏を見つけたので貼っておきますね