Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

映画「シンプルな情熱」を見る

映画館で映画を見たのは何年ぶりだろう
ダニエル・アービッド監督「シンプルな情熱」見てきました
タイトルの Passion simple はもしかして単純過去 passé simple とかけているのかな
現在とは切り離して過去の出来事を述べるフランス語の時制、単純過去
開始数分のモノローグでエレーヌが淡々と振り返る狂おしい恋は、もはや今の彼女からは切り離された単純過去的な出来事として語られます
つまり彼女はこのシンプルだけど地獄のような情熱 passion を生き残ったのだということがはじめに明らかになります
Passion は情熱であるだけでなくひたすら受け身(passif)を余儀なくされる受難 passion でもあり
実際、恋の只中にあってエレーヌはいっさいの主導権を奪われ、身勝手な恋人からの連絡をただ待つことしかできない
逢瀬はつかの間に過ぎず、待つほうがずっと長く、エレーヌは幸せそうなどころか、いつも不安で落ち着かなくて、携帯の着信ばかり気にして何もかもうわの空で、危うく息子を轢いてしまいそうになったり、しまいには家事も手につかなくなる
この映画で恋愛の素晴らしさよりも地獄を見せつけられたような感じです
たまたま読み返していたボードレールの日記「火箭」Fusées で、恋愛は拷問か外科手術のようなものだという一節があって
実際、対等な立場の恋愛よりも、一方が優位に立って他方を支配する非対称のほうが圧倒的に多く
支配される側にとっては恋は拷問に似ていることもあり
そういう立場に立たされるのはたいていは女の人です
エレーヌは大学で文学を教えていて、フェミニズムの立場から批判的に映画を語ったりする場面もあるのに
ひとたび自分自身に降りかかると、なすすべもなく引きずられるばかり

精神科医に薬を増やしてほしいと頼むところ、彼女は自殺をするのかと思いました
それほど追い詰められているように見えて
しかし医者の前で、彼女は冷静を取り戻し、自ら恋を客観的に振り返ります
立ち直りへのきっかけだったかもしれません

キッチンでいんげんのすじを取りながらロシア語の発音練習をするところがなぜか印象に残りました
好きになった人のすべてを知りたくて、その人の母語も学ぶ気になる
わかる気がします
恋には、そんなふうに、まったく自分に縁のなかった世界に足を踏み入れさせる力があるのかもしれません


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