Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

父母から自由になること 韓国ドラマ『シスターズ』感想

親の支配から自らを解放する、勇気ある女性たちの群像劇だった。
三姉妹の父は最後まで登場せず、母の存在感も薄い。父母なしで、姉妹で力を合わせて生きていく。
イネとヒョリンの出国も、イネにとっては、親代わりに愛情を押しつけてくる姉たちからの、ヒョリンにとっては毒親二人からの脱出だった。
ヒョリンがイネに肖像画を描かせて、それを自分の作品として出して賞をとる序盤は、ヒョリンってなんていやなやつ、と思っていたけれど、それはどうやら親の言いなりになっていただけのようで、二人の間の、単なる友情以上の堅い信頼関係がすこしずつ明らかになるにつれて、この二人も姉妹のように思えてくる。
若草物語へのオマージュがあちこちに見られるが、あちらは四人姉妹だったのに対して、こちらは三姉妹。もうひとりいたはずなのだが、夭折している。
ファヨンが四人目の姉妹だったのではないかと誰かが考察していたのは、なるほどと思った。姉妹でなければ、あのような大金を譲る気になれるだろうか。彼女はインジュにとって、文字通り姉のように、教え励ましてくれる存在。一番上の兄や姉というものは、自分にも兄や姉がいればいいのに、と一度は夢想すると思う。血のつながった者ばかりが姉妹ではないのだから。第1話で、二人が靴を取り替えて、ファヨンが自分の上着をインジュに羽織らせる場面が象徴的で、二人の間に電流のように流れるシスターフッドが素敵だった。

オム・ジウォンの妖艶で堂々とした悪女ぶりがかっこよかった。上背があるので、はなやかなドレスがほんとうによく似合う。

何度も思い出す好きな場面は、インジュがシンガポールのホテルでドレスに着替え、ドイルからもらったアクセサリーを身につけるところ。いつもおどおどして自信なさげだった彼女が、晴れ晴れと自信にあふれてほほえみ、それを見守るドイルも、いつになく優しい表情だった。そこに恋愛の要素を見つけようとしてもいいけれど、しなくてもいい。恋愛うんぬんの次元を超えた、何か深くて温かい、敬意といえばいいか友情といえばいいか、そのようなものを、私はそこに見た。最終話での二人のラストシーンを見てもわかるように、恋愛的関係でない男女の温かい信頼関係を、作った人たちはここで描きたかったように思える。

原作の若草物語がみんな揃って団欒で終わるのと違って、この姉妹は最後にバラバラになるのだけれど、それで良かったのだろうな、と思う。ひとつ屋根の下で暮らすと、かえってお互いの欠点が気になって争いになる。離れていても、心はつながっている。

娘たちのお金を持ち逃げして家出する母親の無責任は誰もが非難したくなるが、結果的に彼女の不在が娘たちに自立の機会を与えたとも言えるし、海外でけっこう楽しそうにやっているようだし、あれで良かったのかもしれない。若草物語で父親の不在が娘たちの自由を保証したのと同じように。

三姉妹の母と対照的なのがヒョリンの母サンアで、一見教育熱心な良妻賢母を演じつつもすべては演技で、娘は自分の脚本を完成させるための役者の一人でしかなく、自分の脚本通りに動いくれないと承知しなくて、だからこそヒョリンの失踪で彼女はめずらしく取り乱す。

サンアは極端な例だとしても、こういう母親は少なくないように思う。子どもの有名校受験が子のためというよりは自分の虚栄心の満足のためというような母親が。娘を捨てて家出して自分自身の人生を楽しむ母親のほうがまだマシかもしれない。

ヒョリン失踪後のインジュとサンアの会話で、インジュは、娘にしたいようにさせてやるのも大事ではないか、と言う。彼女も、母親代わりに面倒を見てきたイネがいなくなって、心配でないはずはないのだが。原作の若草物語で、まだまだ子どもと思っていた末娘エイミーをヨーロッパに送り出すときの姉たちの心境もこんなふうだっただろうか。

親の支配なしに自立して力強く生きてゆく姉妹と対照的なのが、ベトナム戦争で勲功をたてた将軍を中心に結成された情蘭会で、そこでは父権的な忠誠が何よりも重んじられる。一見頼りなく隙だらけの姉妹に比べて、歴戦の勇者の鉄の結束は最強のはずなのに、いつしか自滅してしまう展開は皮肉だった。泥沼の戦争でたてた戦功も、持ち帰った希少な蘭も、死を招くものでしかない。
誰でも頼もしい父親を必要としている、とインギョンを情蘭会に引っ張り込もうとする先輩記者に、彼女は、父親なんかいらない、ときっぱりはねつける。生物学的な父親だけでなく、将軍やパク・ジェサンのような、あらゆる父権的なものへの拒否の姿勢が潔い。親の庇護なしにたくましく生きようとする女性たちの物語であることを印象づける場面だった。
「パク・ジェサンを殺す」というインギョンの決意に、エディプス・コンプレックスを読み取るのは難しくない。しかし、エディプスと違って彼女は父だけでなく母をも否定し、母の置き手紙と手作りキムチ(おいしいと言いながら一度は食べても)を捨てる。クリュタイムネストラを殺したエレクトラのように。

ベトナム戦争は、ここでは韓国軍兵士をも破滅に導く否定的なものとして描かれるが、描き方が中途半端だったため、結果的にベトナム当局に不快感を与え、かの国で配信停止になったのは残念でならない。歴代の大統領がベトナム戦争に従軍したこともあってか、韓国でこの戦争を否定的に描こうとしても、いまだに見えない壁のようなものがあるのかもしれない。


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