Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

『椿の花咲く頃』を見た

2019年の韓国ドラマ『椿の花咲く頃』をNetflix で見た。

餃子は蒸気だけでもゆっくり火が通る、それと同じように、ゆっくりと恋を温めましょう、というドンベクのことばどおり、恋はゆっくりと育ち、全20話のうちようやく第9話でファーストキス、最後まで「ドンベクさん」「ヨンシクさん」という敬称で呼び合う二人だった。

情熱的にアプローチするヨンシクも、意外に礼儀正しいところがあって、たとえば具合が悪くて寝込んでしまったドンベクを見舞って添い寝をする場面、二人のあいだに透明な川のようなものを引いて、襲ったりしないから安心してお休み、というヨンシクの優しさ。ときどき髪をなでたり額にキスをしたりするしぐさから、ドンベクのことをほんとうに大切にしているんだなということが伝わってくる。

このヨンシクと、ドンベクの元恋人のジョンリョルの、彼女をめぐってのつばぜり合いが見どころの一つなのだが、この二人が何から何まで対照的。都会人で高年俸の野球選手ジョンリョルと、しがない田舎の巡査ヨンシク、そしてジョンリョルは、ドンベクの息子ピルグの実の父でもある。

金の力と父権的な血のつながり、韓国のみならず日本でも、世界の多くの国でも、男性が女性を支配する武器としてきた二つをもっているのに、なぜかジョンリョルの旗色は悪い。

この二人からどちらかと言われれば、ジョンリョルを選ぶ人も少なくないかもしれない。しかし、むかし彼と生活をともにしたドンベクには、彼の人間としての浅さがわかっていた。

ドンベクやピルグを思いやる気持ちは負けないはずなのだが、ごちそうやゲームを買い与えたり留学費用を出したりというお金の次元で解決することしか知らない。それだけでなく世間には自分はピルグの叔父だと言う。すでに家族のあるジョンリョルに婚外子がいるとなればスキャンダルになるからで、卑怯な自己保身が垣間見える。

対するヨンシクの、何よりもドンベクの悩みを傾聴ようとする態度、あなたは世界一立派ですと彼女を称賛して、僕はあなたの味方です、いつもそばにいて助けに行きます、と寄り添う姿勢、愚直なほど素直な愛情表現と、きわだった対照をなす。

20のストーリー、途中で飽きるかと思ったら続きが気になってしかたがなくて、次々に見てしまった。一番最初に出てくる遺体発見のシーンが不吉で、その後も何度か繰り返されて、神出鬼没のジョーカーの存在とともに、犯罪のにおいが漂い、真犯人は誰なのか、鈍い私にはなかなかわからなくて。

強くてしたたかな女性たちがたくさんでてくる。女性が男性を殴るシーンがいくつもあった。孤児で未婚の母でありながら、一児を育てつつ居酒屋を切り盛りするドンベクの強さは言うまでもないが、一流大学をでて弁護士としてバリバリ仕事をする女性や、さらには、夫を尻に敷き、キムチのやり取りで親交を深めて団結を強める商店街のアジュモニたちが心強い。その一人一人にそれぞれの人生があり、それは誰かのオマケの人生ではなく、かけがえのないその人の人生。主役の二人だけではなく、脇役一人一人の心の襞を丁寧に追うので話が長くなるが、すべての登場人物への愛を感じる。

ドンベクはヨンシクと出会うことでますます強くなったが、この人は最初からしたたかだったと思う。セクハラを仕掛けてくる大家のことを、告訴にそなえて克明に日誌に書いたり、手首や笑顔の代金は飲食代には含まれません、と毅然と宣言したり、決して泣き寝入りしない強さ、ジョーカーは自分がやっつけると宣言して、本当にやっつけてしまう強さ、そこにヨンシクは惹かれたわけだけれども。

未婚の母という色眼鏡で見る近所のおばさんから、道徳的に生きようよ、と皮肉を言われても、私なにも悪いことはしていません、と胸を張るところが潔い。シングルマザーだからといってうじうじしてない。

ヨンシクの母とドンベクの母、それぞれの愛と葛藤も丁寧に描かれていた。それぞれに欠点も落ち度もあるけれど、子を思う気持ちは誰にも負けない。それでも、あんまり母の愛、母の愛と強調されると、母性愛が当然の前提かのように聞こえて少し息苦しいことも事実だ。
その意味で、血のつながった親子の愛情ではなく、たとえばアルバイトのヒャンミに対するドンベクの優しさのほうが、より一層心の奥深くに響く。

どこの馬の骨かわからないワケアリの子、店のお酒を勝手に飲んだりお金にだらしなかったり、盗癖のなおらない子だけどほっておけなくて、ワケアリのワケを詮索しようともせず、髪伸びたわねとヒャンミの髪をとかす優しさ、魂の深いところで人間というものを信じている優しさ。やはりドンベクの優しさは特別で、それはお人よしと紙一重でもある。たとえばジョーカーにさえ「自分自身を見ているようだ」と昼食をサービスしてしまうところなど。

ヒャンミが生まれ変わったらドンベクの娘になりたいというのもうなずける。だからこそ、ヒャンミのたどることになる運命に深い深い悲しみを覚える。スクーターをはさんで二人が最後に言葉をかわす場面、涙を流すヒャンミにドンベクが、何かあったの、と涙をぬぐってあげるところ、切ない。

主人公の二人が日の当たる場所にいるのに対して、ヒャンミとジョーカーは日影にいる人々。ジョーカーのことを書くとネタバレになるので書かないが、ヒャンミとドンベクは似たような家庭環境(そしてどうやら同級生)にもかかわらず、この差はなんだろう。人から金をせびりとって、周りの人すべてを敵に回してまで遠国の弟に仕送りする彼女は、弟思いといえば聞こえはいいが、韓国の(日本も?)伝統的な男尊女卑の価値観が強いてきた、つねに男を立てるために自らを犠牲にする規範を内面化した女性で、それは夫の暴力に耐えかねて出奔したドンベクの母が背負ってきた十字架でもある。

ロマンティックラブコメディーを基調としつつスリルとサスペンスの要素もあり、基本的には娯楽性の高いこのドラマのなかで、深く考えさせる部分があるとすれば、このヒャンミの生き方だ。ドンベクのように強くたくましく生きていく女性だけでなく、チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』で描かれたような男性支配の古い価値観に縛られ、これほどまでに苦悩して泥沼にあえぐ女性もいるのだ、ということを忘れてはいけないと思う。

 

境遇は全然違うけれども、自分自身も、小さい子を育てながら小さい店を経営した経験があるので、なおさらこの物語に深く入り込んでしまった。小さい子の成長を見守りつつお店もがんばって、おなかをすかせて帰ってきた子に店のものをちょっと食べさせたり、仕事を途中で抜けてお迎えに行ったり。小さい店でも自分が経営者なのだから、働く時間は自分で決めて、ときには子どもと過ごすために店を休む。子どもを育てながら店も育ち、自分も育つ。どちらが優先とかではなく、どちらも大事で、経験したことのある人だけがわかる、大変さと楽しさ。子どもが熱を出したりして仕事のペースを乱されることもあるけれど、すくすくと育ち上がる子どもの成長に何よりも励まされる。ドンベクのピルグに寄せる無条件の愛情はとてもよく理解できる。

そういえば終盤で、バラバラになりかけていたヨンシク、ドンベクとそれぞれの母に働きかけて、もう一度つながりを取り戻したのもピルグだった。自分自身子どもを育てて、つくづく

子は宝

と感じる。陳腐かもしれないが真実だと思う。大人同士のこじれた関係をもう一度むすび直してくれる不思議な力が、子どもにはある。


まだまだ語りつくせないけれど、このへんで。
韓国ドラマを見るのははじめてだったけれど、大当たりでした。コン・ヒョジンのファンになりました。