レバノンの作家 ハリール・ジブラーン Kahlil Gibran が英語で書いた著作『預言者』The Prophet
詩的な哲学的箴言が断章の形で書かれている。
ニーチェのツァラトゥストラを思わせる孤独な魂が山を下りて、街の人々に乞われるままに説教をする。
ちょっと説教くさいかなと思ってしばらく遠ざかっていたが、久々に読みかえすとやはり心に訴えるものがある。
たとえば話すことについてのこのような一節
You talk when you cease to be at peace with your thoughts;
And when you can no longer dwell in the solitude of your heart you live in your lips, and sound is a diversion and a pastime.
And in much of your talking, thinking is half murdered.
For thought is a bird of space, that in a cage of words may indeed unfold its wings but cannot fly.
ためしに訳してみると
「思い」となかよくできなくなったとき 話しはじめてしまう
もはや孤独な心のなかに安住できなくなったとき くちびるに生きるようになる 音はたのしみであり気晴らしである
たくさん話すうちに 思いの半分はそこなわれる
というのも思いは空を翔ける鳥なのだから ことばという籠に入れるならば翼をひろげても飛ぶことはできないのだから
話せば話すほど思っていたことと違う方向に行ってしまう。こんなことならはじめから何も話さなければよかったと思う。だれとも口をきかない一日がどれほど至福か。
レバノンという、キリスト教とイスラム教とユダヤ教の交差する文化と言語と宗教の坩堝のような国に生を享けて、英語・フランス語・アラビア語を使って思考するジブラーンの思想は必然的に折衷的になったといえるだろうか。解説によれば彼の思想はマロン派のキリスト教とスーフィズムつまりイスラム神秘主義の両方の特徴をもつという。正統的な宗派からは嫌われて、シリアのキリスト教会からは破門されている。ほんとうに宗教的な人間はどの宗教の枠にもはまらなくなるものなのかもしれない。
『預言者』の文体は擬古的な荘重なもので、解説によると彼は聖書の欽定訳 Authorized Version の文体に学んだとのことだ。