きのうは主夫のお休みをもらって、近所の公民館に音楽会に行ってきました。
パトス四重奏団。ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・ピアノのグループです。
固定メンバーでのピアノ四重奏団はめずらしいですね。
1月に結成されてこの日が初舞台とのことでしたが、そんな風にはとても思えない、息の合ったアンサンブルでした。
小さな会場で、息づかいが聞こえるほどの近くできかせていただきました。
プログラムは
それぞれ作曲家10代、30代、20代の作品。
マーラーの曲は作曲家の名前を伏せたら誰かわからないほど、後年のマーラー節は聴かれず、シューマンかブラームスのような響きでした。ブルックナーのもとで修業していた15歳のころの作曲だそうです。
短6度の跳躍のある a-f-e の憂悶するような動機が何度も繰り返される。
ヴァイオリンの上敷領藍子さんによるとこの曲には決定的なダイナミクスがひとつも書かれていなくて、淡白な譜面なのだそうです。
交響曲であれほど細かい強弱や表情の指示を書きこんだ人とは思えないですね。
フォーレの曲は、昔から知っているはずなのに、間近で聴くと初めて聴くような新鮮な印象を受けました。
ささやくようなかすかな弦のピチカートにつづいてまるで小さな妖精のようにかろやかに舞い踊るピアノの旋律ではじまる第2楽章がとりわけすてきでした。
ひとやすみのあとは愛してやまないブラームスの四重奏曲。
じつはこの曲、シェーンベルクによるオーケストラ編曲版で初めて知って恋に落ちたのでした。後から知った原曲も、聴いているとラッパやシンバルの音が聞こえてくるような錯覚にとらわれます。
自らチェロを弾いたというシェーンベルクが好んだだけあって、チェロにおいしい旋律がいっぱい。
ピアノの伴奏に乗ってチェロが歌う第1楽章の第2主題、f-g-g♯-a の上昇音階で始まる旋律は聴くたびに切なくなる世界一好きなメロディで、チェロが弾けたらなあと思わずにはいられません。
フィナーレのハンガリー風のロンドは緩急自在なテンポのなかで熱く盛り上がり、終演後は盛んに拍手が送られていました。
このロンド、あちこちに不協和音がちりばめられて、シェーンベルクの編曲版ではそこがとくに強調されていたりもします。1860年ごろにしては新奇にひびいたにちがいないこの和音は、もしかしたらじっさいのハンガリーの民族音楽の、ドレミファの音階に収まらない微妙な音程をブラームスの耳が聞き分けたのかもしれない。バルトークよりも何十年も前に。
すっかり演奏に魅せられて、もっとこれからもこの演奏家たちを聴いてみたいなあ、次はシューマンの四重奏曲などがいいなあ、と思っていたら、なんとアンコールはそのシューマンの第3楽章。ブラームスの熱狂のあと、嫋嫋たるロマンティックな調べのうちに幕を閉じました。
終って外に出ると夕立も上がり、虫の声の聞こえる夜の中を、今の演奏を思い出しながら、30分ほどかけてあるいて家に帰りました。