このような詩です
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
4・4・3・3行、合計14行のソネットの形ですね。
ここに描かれる川は中原の故郷山口の吉敷川という川なのだそうです。
この川には伝説があって
むかしおばあさんのもとに、きたない身なりの僧がやってきて「すみませんが水を一杯いただけませんか」
「だめだめ、よそ者に飲ませる水なんてないよ。この川の水はぜんぶわたしのものだからね」
「お願いです。一杯だけでいいのです」「うるさいねえ、あっちへ行きな」
お坊さんを追い返したあと、ふと気がつくと、おばあさんの川の水が、川底に吸い込まれるようにして、なくなってしまっていたのです。おばあさんの家の川の前の水だけが、何年もの間涸れたままだったのです。
その時からこの川は、水無川(みずなしがわ)と呼ばれるようになりました。
詩人がこの民話をもとにしてこの詩を書いていると考えていいのではないでしょうか。
水のない川、夜なのに日が射していて、さらさら、さらさらと音を立てている。
ひとひらの蝶が飛んできて、川の小石にとまり、やがて飛び去る。
すると、いままで流れていなかった川の水がさらさらと流れ出す。
民話と重ね合わせると、蝶は川にかけられた呪いを解くために飛んできたかのようです。
人間のつまらないエゴイズムが川の水を干上がらせる。上流のダムのために水かさがへり、魚がいなくなるような状況を想像してもいいかもしれない。
そこに、はかないひとひらの蝶が来て、ふたたび水が流れはじめる。
現実にはあるはずのないことかもしれない。だから「メルヘン」なのでしょう。しかし何と美しいメルヘンでしょう。
だれにも止められない王蟲の暴走を、たった一人の少女ナウシカが止める。
そのナウシカに似たふしぎな力を、この蝶はもっている。
印象に残るのは、ことばの韻律的な美しさ。
さらさらと のくりかえし。それに さればこそ さて というサ行のことばともひびきあって、意味は稀薄になり、まるで音楽のようです。