Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

新田次郎『アラスカ物語』を読む

新田次郎著『アラスカ物語』読了しました。

最も心に残ったのはフランク安田がエスキモーを引き連れて移住した先で、インディアンの酋長と会見する場面、もともと敵対関係にあったインディアンの領分を侵す一触即発のところで、フランクが片言のインディアン語の短い挨拶のあとに大きな声で長い日本語の演説を試み、対する酋長も長い演説で応酬、それが二時間つづき、贈り物が交わされ、和解が成立する。日本語を知らない相手にあえて日本語で話しかけることで相手の信頼をかちえた。

ことばがコミュニケーションのツールであるという迷妄を打ち砕いてくれる挿話で、人と人がわかりあうのはことばによってではなく、しぐさや声の調子や表情など、人間全体を見、聞き、感じることによってなのだとあらためてわかります。

エスキモーの文化も興味深かった。骸骨の踊りのような、血の海のようなオーロラを見ても他国の人間は何も感じないのにエスキモーにとってはこの上ない恐怖であり悪い前兆であり、実際そのあとで疫病がはやったり戦争がはじまったりしたこと。フランクの妻ネビロがあの山に何かありそうで気になるというので行ってみると砂金の山があったこと。いかに非科学的に見えようとも、徴候から鋭敏に感受する能力はいわゆる「文明」のもとに育った者には失われたものです。

食糧危機に陥ったエスキモーにアメリカから食料を援助されても小麦粉や玉ねぎがなかなか口に合わなかったこと。農耕民族は小麦食が普遍的と思いがちですが、他国人にとっていかに奇異であろうと生肉食がエスキモーの日常であり小麦食は奇異なのですね。

食糧危機ももとをただせばロシアやアメリカの資源乱獲の結果なのだし、食糧援助もこれほど的外れとは、彼らのエスキモーへの仕打ちの罪深さははかりしれないものです。

農耕民族の傲慢と狩猟民への侮蔑、それはたとえば漢民族とモンゴル、ヤマト民族とアイヌなどにも言えることでしょう。モンゴル人の知恵は、家畜が草を食べつくす前に移動することで草原を持続可能にしていたのに、入植した漢民族が土を全部掘り返して開墾して、その結果土地が沙漠化したのはその一例です。農耕民族のほうが富を蓄積して国力を強大にできるのでこの優位が動くことはないといっても、狩猟民の独自の文化がそれによって破壊されていいはずがありません。

たまたま並行して読んでいた小泉文夫著『音楽の根源にあるもの』のなかで、鯨エスキモーとカリブーエスキモーの音楽の違いが書かれていました。カリブーエスキモーの人たちはリズムよく声を合わせて歌うのが苦手であるのに対して、鯨エスキモーは声をそろえて上手に歌う。その理由として小泉が考えるのは社会システムの違いで、鯨を捕るためには大勢の協力と命令系統が必要だったため、声を合わせて歌うようになったのに対して、カリブーエスキモーは一人でも狩りができるためばらばらの個人的な歌になった。どちらの歌が音楽的かと言えば鯨エスキモーのほうだけれども、「私たちが音楽的と考えていることが、実は不幸の始まりかもしれない」と著者は書きます。美しいハーモニーとは、実は命令と服従の上下関係があってはじめて鳴り響く。和声と旋律の秩序のもとに、指揮者のもとに、初めて鳴り響く。新元号の英訳は beautiful harmony というけれど、じつは美しさにだまされていないか。命令があるからこそ美しい音楽が鳴るのではないか。

 

この本を読んだ人の感想で「日本人の誇り」「日本すごい」のような賛辞を見かけるけれど、フランク安田が15歳で両親を喪い、親戚とも疎遠になり、ほとんど亡命のように国を捨てて、容貌からエスキモーに間違われるだけでなく現地の習俗にもすぐにとけこんだその軌跡を考えれば、日本人ではなくてある意味のコスモポリタンなので、それを日本人の手柄ののように言うのはどんなものでしょうか。

長年エスキモーに交じって暮らしながら最後までなじめなかったのは彼らの「妻交換」すなわち自分の妻を客と臥所をともにさせたり、自分が留守の間友人に貸したりする習慣で、一夫一婦に慣れていたフランクにはとても容認できるものではなかったとのこと。ただ、しばしば命の危険の伴う狩猟や捕鯨を生業とする彼らが、夫を喪った妻の福祉について知恵を絞った結果成り立った習俗という側面もあるのだそうです。そういえば古代ユダヤにもレビラト婚という、寡婦が死亡した夫の兄弟と結婚する慣習があったことを思い出します。

一夫一婦制がつねに最上の選択とは言えない場合もあるのかもしれません。

フランクの妻ネビロが教会に行って西欧風の倫理や習俗を聞いてきていたからこそ、フランクとも仲良く暮らせたと思いますが、西欧的な倫理をエスキモーに持ち込むことが、果たしてエスキモーにとってほんとうに幸福だったのかどうか、にわかには結論を出しにくいことだと思います。