Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

カラヴァッジョ「聖母の死」

つれづれなるままに街に出て、カラヴァッジョの絵を見てきました。
ジェンティレスキ父娘など、彼と関わりのあった同時代の絵描きたちも一緒に。
はじめて知る名前も多くて勉強になる。
明暗のコントラストで対象を際立たせる技法は、実物を目の当たりにしてはじめて味わえるものでした。特に闇の濃さ。
対象をひたすら忠実に描くリアリズムは、それに先立つ時代の歪曲に満ちたマニエリスムとははっきり一線を画していることが素人目にもわかります。
印象に残った一枚はカラヴァッジョの「聖母の死」

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タイトルを伏せて見れば、名もない庶民の女性が息を引き取ったばかりの生々しい現場にしかみえない。着衣は乱れ、両手は広げられ、素足が覗いている。
そのあまりに生々しい描写のゆえに、委嘱した修道院はこの絵に満足せず、受け取ろうとしなかった。
実際、カラヴァッジョが聖母のモデルにしたのは知り合いの娼婦だったのだそうです。
世俗的な題材を使って聖なるものを描く。世俗的なものの中にこそ聖性が宿ると言えるでしょうか。
ルネサンスの作曲家が、流行歌を主題にしてミサ曲を書いた「パロディミサ」のことや、自作の世俗曲をカンタータに転用したJ.S.バッハのことを思い出しました。
亡骸の手前で顔を伏せる女性も心に残る。マグダラのマリアを描いたとされていますが、顔を描かず、うつむいた背中の形だけで、その悲嘆の極みが、ありありと伝わってきます。


ラシーヌ「アンドロマック」覚書

絶望的な片思いの連鎖。

オレストはエルミオーヌを、エルミオーヌはピリュスを、ピリュスはアンドロマックを、そしてアンドロマックは亡き夫エクトールを愛している。

そのなかでぶれるのがエルミオーヌとピリュス、ぶれないのがオレストとアンドロマックである。

エルミオーヌを愛するあまりに、彼女にふりむいてもらうためには手段をいとわないオレストの一途な愛し方はほとんど気違いじみている。第1幕第1場で「愛している 」J'aime と目的語なしで告白するところ、愛はある種の絶対性を帯び、危険をはらむ。Oreste と韻を踏む funeste(不吉な)が、この荒々しい男の性格を要約している。

いっぽうのアンドロマックは、惨殺された夫エクトールの哀悼と思慕のみに生きる。ピリュスにどんなに求愛されてもふりむかない。エクトールを殺したアキレウスの息子なのだから当然だが。

オレストもエルミオーヌもピリュスも、愛し返してもらう可能性があるが、アンドロマックにはそれがない。愛する相手はすでに死んでいるのだから。

劇はオレストにはじまり、オレストに終わる。彼がこの劇の第二の主人公といってもいいかもしれない。

劇のなかでは言及はないがオレストは母殺しのために復讐の女神(エリニュス)に呪われた存在として登場する。夫アガメムノンの留守にアイギストスと同衾した母親であるクリュタイムネストラの不義を罰するために、姉エレクトラと共謀して殺した母殺しの罪を、観衆を含めてだれもが覚えている。第5幕の最後でオレストを取り囲む深い闇はエリニュスの再来といえるだろうか。

元ネタの神話と異なりエクトールの遺児を生かしたことでこの血なまぐさい劇に一縷の希望が残った(イリアスなどではエクトールとアンドロマックの子アスティアナクスはトロイア陥落の折にギリシャの兵士が塔から投げ落して殺害する)。侍女に託したアスティアナクスへの遺言のなかで「決して復讐するな」と伝えるアンドロマック。

Parle-lui tous les jours des vertus de son père ;

Et quelquefois aussi parle-lui de sa mère.

Mais qu’il ne songe plus, Céphise, à nous venger :

 あの子の父のよいところを毎日話してやって。ときどきは母のこともね。けれど、セフィーズ、ゆめゆめ敵討ちをしようなどと思わぬようにと(第4幕第1場、拙訳)

 

復讐の鬼と化したオレストときわだった対照をなす。復讐を諦めることの尊さ。

自分の父と夫を殺され、しかも夫の遺骸は車でひきずられて辱められ、祖国トロイアが灰燼に帰するのを目の当たりにしたアンドロマックが、復讐を諦めることにどれだけの努力を要するか、想像もつかない。

やられたらやり返す男性原理にもとづいて、10年つづいたトロイア戦争で流されたおびただしい血は、誰かが復讐をあきらめることによってしか止まらない。それが、すべての後ろ盾を失った無力な一人の女性によってなされたことに意味がある。どのような男性もこれだけの勇気のもちあわせはないだろう。

ラシーヌ「フェードル」を初めて読んだのは、フランス語を学び始めて4年目の、フランス文学科の小田桐光隆先生の研究室で、10人に満たない受講者の輪読はすぐ順番が回ってきて、17世紀の古めかしいことばに悪戦苦闘しつつ、意味をとるだけで精一杯だったことを思い出す。あれから数十年、小田桐先生から与えられた宿題をすこしずつやりながらこんな文章を書きましたが、先生はもはやこの世にはおられず、私もいつのまにか先生の亡くなった年齢を超えてしまいました。

 

 

バーチャルなものとリアルなもの

ヨハネによる福音書の第20章、復活したイエスをまだ見ていない弟子トマスが他の弟子たちに「私はその手に釘の痕を見、指を釘の痕に入れ、手をその脇に入れるまで信じない」と言う場面がある。

Doubting Thomas という成語も生まれたこの逸話で、トマスは昔から不信心者の象徴とされてきた。

ヨハネと並ぶ有力な弟子の一人であったトマス自身も福音書を書いたが、それは正典にはならなかった。イエスの死後、ヨハネとの勢力争いに敗れたという説があり、この逸話はトマスを追い落とすためのヨハネの創作だったとする説もある。

それはともかく、私はトマスは正直で慎重な人だと思うし、人の噂を聞いても信じないだけで不信心呼ばわりされるのは気の毒だと思う。

この目で見てこの手で触れたものだけを確実でリアルなとして、伝聞で知ったことについては判断を保留するのは知的に健全な態度ではなかろうか。

新聞やテレビでさまざまなニュースが報道されるが、紙や画面の上だけで知ったことをリアルな現実として感動したり批判したり、どうしてできるのかふしぎでならない。新聞もテレビも嘘つきで偏向しており誤報ばかりなのに、信用して真に受ける天真爛漫が理解しがたい。

たとえば私は天皇に会ったことがない。写真や動画を見たり電気的に再生された声を聞いたことはあるが、生身の天皇に面と向かって肉声を聞いたことはない。私にとって天皇の存在は確実ではなく、その存在を信じるしかないもの。

あるいは、私の住む町のことはよく知っているが、その町が含まれる市となるとくまなく知っているわけではなく、それが含まれる府はほんの一部を知っているだけですでに茫漠とした印象しかない。まして日本の国などというものは私には少しもリアルに感じられない。ここが日本で私が日本人だと言われても、日本なるものの実体が不確かなものにしか思えない。すべてはバーチャルである、あるいは夢まぼろしであるのかもしれないのだ。

寺山修司の短歌に

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

というのがあるが、その存在を信じるしかないもののためにどうして身を捨てることができるだろう。身を捨てることができるとすればそれは、この目で見て触れてにおいをかいで声を聞いて、その身体の実在を実感できる生身の人のため以外にないのではないか。

 

9月25日は私の好きなピアニスト グレン・グールドの誕生日で今日10月4日は彼の命日。毎年この期間を Glenn Gould Week と勝手に名づけて、彼の遺した音源を聴いている。今日もヒンデミットシベリウスベートーヴェン、バッハなどを聴いていた。

グールドの生演奏は一度も聴いたことがない。何しろ32歳でコンサートをドロップアウトしてしまった人だから。電気的に再生された音でしか知らないこのピアニストは私にとってバーチャルな存在なのになぜこんなにもリアルに彼の音楽は私の心に響いてくるのだろう。

その存在を信じるしかないものや人が、ときに人の心を揺さぶることがある。ある種の芸術と、ある種の宗教だけに可能なことなのかもしれない。

 

 

 

ジェシー・ノーマン追悼

いちどだけ生で聴いたことがありました。昭和女子大学人見記念講堂で、予定されていたのはシェーンベルクの「期待」だったのが変更されて、一般的な歌曲のプログラムになったのでした。

どんな曲を歌ったか、もうすっかり忘れてしまったけれど、アンコールの黒人霊歌がノリノリのスイングで、からだを揺らしながら歌っていたのをよく覚えています。

堂々とした体格で、黒い肌に華やかな色の衣裳がよく合って、舞台に映える人でしたね。

初めて聴いたのは小沢とボストン響とのシェーンベルクグレの歌」のLPでのトーヴェでした。分厚いオーケストラの響きをやすやすとつきぬけて通る豊麗な声にたちまち魅せられてしまいました。

あとよく覚えているのがテンシュテットロンドン・フィルとのブラームスドイツ・レクイエムのCDのなかの Ihr habt nun Traurigkeit.

全曲のなかで唯一のソプラノソロの曲を、時間が止まるのではないかと思うような遅いテンポで、慰めるように語りかけるように歌う。

ト長調で進んできた音楽が不意に遠い変ロ長調に転じる中間部。まるで別の世界に連れていかれるように。

ささやくような合唱とのひびきあい。

この1曲ばかりエンドレスリピートで聴いていた20代なかばの孤独な日々を思い出す。

YouTubeに音源があったのでのせておきますね。

ジェシーさん、ありがとうございました。安らかに

youtu.be

エシカル・ツーリズム

とある読書会での課題図書、ようやく図書館の順番が回ってきて、アレックス・カー/清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)読みました。

読みながら考えたのは観光の足としての飛行機のことです。地球温暖化を少しでも憂える人ならば、ただ楽しみだけのために、自動車の5倍の二酸化炭素を出す飛行機に乗るのは倫理的に抵抗感を覚えるはずです。

エシカル・ファッション ethical fashion ならぬエシカル・ツーリズムがありうるとすればそれは、化石燃料を極力使わず、徒歩や自転車やヨットで移動し、場合によっては何か月も何年もかけて目的地にたどりつく旅行のありかたでしょう。

飛行機の中で眠ったり食べたりしているうちにいつの間にか目的地についてそこでインスタの写真撮って終わりなどという旅行に何ほどの価値があるでしょう。

travel と travail の語源が同じであるように旅行は苦役であるべきだと思うのです。

そんなふうにして目的地が遠くなれば、あえて旅行しようという酔狂な人以外は旅行しなくなり、本書に書かれているようなオーバーキャパシティや交通渋滞などの観光公害も解消されるのではないでしょうか。

だれかの詩をもじって言えば、観光地は「遠きにありて思うもの」であり「ふらんすに行きたしと思えどもふらんすはあまりに遠し」でいいと思うのです。

いつか石油が枯渇して飛行機が飛ばなくなる日のことを夢見ます。その日の空が澄んで青く静かであろうことを。

観光地でさえ金儲けの手段にするグローバル資本主義の暴走を止めるのは資源の枯渇しかないのかもしれません。

かくいう私は、環境をよごさないように自動車免許を持たず、移動はもっぱら徒歩か自転車、電車やバスは年に数回、タクシーは数年に1回、最後に飛行機に乗ったのは23年前です。フランスに行きたいと思うこともありますが、とりあえず日々の生活は充実して満足しています。

 

持てるだけの荷物で、歩けるだけの距離で生活するのも悪くないものです。

 

ウィーンモダン展を見てきました

芸術の秋というには少し暑い一日 久しぶり街に出て展覧会「ウィーンモダン展」に行ってきました

18世紀のマリア・テレジアから20世紀の表現主義までのウィーンの街の歴史を絵画と風俗とともにたどる企画

シューベルトの眼鏡 メッテルニヒのカバン クリムトのスモック(作業着? カトリックの神父のスータンのような) などの品々も展示されて 時代の息吹のようなものが感じ取れました

マイブームのハンス・マカルトの絵(iPadの壁紙にしているほどのマイブームです)を思いがけず見られたのが良かった

画像下のポストカード「メッサリーナに扮した女優シャルロット・ヴォルター」

前から知っていた絵ですが実物はとても大きなサイズの大作で圧倒的な迫力でした

 

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傲然と身をもたせかける豪奢な衣裳の貴人

その視線の先の闇には街のようなものが燃えているようです

メッサリーナ死後のネロの治世のローマの大火事を予見しているかのような...

そのマカルトの後継者としてのクリムトの初期の写実的なアレゴリーの絵(画像真ん中のポストカード)を見るとこの二人の連続性が見えてくる気がします

分離派立ち上げのときの集合写真も見ました

寝そべっている人もいてなんだかみんな楽しそう

一応みんなスーツ?なのにクリムトだけは例のスモックで完全に浮いてます

のちに分離派から離れてさらに独自の道を歩んだのもうなずけます

クリムトの後半生から分離派・表現主義の流れはちょうどシェーンベルクらの調性からの逸脱の時期と重なっていて、音楽でも絵画でもこの時期に新しいなにものかへの希求と試みがあったのだとわかります

シェーンベルクが描いた絵「マーラーの葬儀」も印象的

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不穏にそよぐ木々の葉 顔のはっきり見えない参列者たち そして中央にはぽっかりと大きな墓穴

敬愛する師を喪った作曲家の心の空洞そのもののように見えました

雨の歌

雨の歌

雨うけに雨おつるおとたえまなくものをおもへどあふすべのなき

雲となり雨となりても逢ふことのかなはぬ恋とさとりぬるかな

あすの米あらふくりやの小夜ふけてさくらをちらす雨ふりやまず

たましひのくらがり峠けふも雨妥協といふことつゆしらぬまに

ちらぬままくちはててゆくあぢさゐの花のをはりにふりそそぐ雨

さみだれにつねよりまさる思ひ河身をうきくさのながれながれて

しめやかにあきさめのふる音すなりむかしのひとのゆめよりさめて

かまくら阿弥陀如来のながあめにもだしおはすやしとどぬれつつ

半身をぬらしてきみのさしかけしちひさき傘によりそひてをり

だきよせて傘にいれれば真白なる頬にはりつく君のぬれ髪

かさをさすほどでもなくて雨のふりわがこころにも雨のそぼふる

ながあめにぬれそぼつらむぬばたまの夜をこめてなくみみづくのこゑ