Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

エシカル・ツーリズム

とある読書会での課題図書、ようやく図書館の順番が回ってきて、アレックス・カー/清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)読みました。

読みながら考えたのは観光の足としての飛行機のことです。地球温暖化を少しでも憂える人ならば、ただ楽しみだけのために、自動車の5倍の二酸化炭素を出す飛行機に乗るのは倫理的に抵抗感を覚えるはずです。

エシカル・ファッション ethical fashion ならぬエシカル・ツーリズムがありうるとすればそれは、化石燃料を極力使わず、徒歩や自転車やヨットで移動し、場合によっては何か月も何年もかけて目的地にたどりつく旅行のありかたでしょう。

飛行機の中で眠ったり食べたりしているうちにいつの間にか目的地についてそこでインスタの写真撮って終わりなどという旅行に何ほどの価値があるでしょう。

travel と travail の語源が同じであるように旅行は苦役であるべきだと思うのです。

そんなふうにして目的地が遠くなれば、あえて旅行しようという酔狂な人以外は旅行しなくなり、本書に書かれているようなオーバーキャパシティや交通渋滞などの観光公害も解消されるのではないでしょうか。

だれかの詩をもじって言えば、観光地は「遠きにありて思うもの」であり「ふらんすに行きたしと思えどもふらんすはあまりに遠し」でいいと思うのです。

いつか石油が枯渇して飛行機が飛ばなくなる日のことを夢見ます。その日の空が澄んで青く静かであろうことを。

観光地でさえ金儲けの手段にするグローバル資本主義の暴走を止めるのは資源の枯渇しかないのかもしれません。

かくいう私は、環境をよごさないように自動車免許を持たず、移動はもっぱら徒歩か自転車、電車やバスは年に数回、タクシーは数年に1回、最後に飛行機に乗ったのは23年前です。フランスに行きたいと思うこともありますが、とりあえず日々の生活は充実して満足しています。

 

持てるだけの荷物で、歩けるだけの距離で生活するのも悪くないものです。