桜の花を見るとき、いま目の前に咲いている桜だけではなくて、これまで生きてきたなかで見た無数の桜が、見た場所や情景や、一緒に見た人とともに、意識していてもしていなくても、まるで倍音のように、あるいは不可視の光のように同時にそこに重ねられ、過去のすべての桜が折りたたまれて和音のように響いているかのようで、それゆえここに見ている桜は、私以外の誰にも見えない、唯一無二で取り替えのきかないものであり、年齢を重ねれば重ねるほど、桜の花(であってもほかの花であっても)への感慨がいっそう深まるのも、そこに層をなす不可視の桜が、ますます多くなるからなのかもしれない。
今週のお題「お花見」