Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

私に触れるな

佐藤研『悲劇と福音』読了。

供えた花が萎れれば取り替えるようにして、月日の流れに逆らって悲しみを常に更新して生々しいままに忘れないことこそ、あすへ踏み出すためのよすがとなる。イエスの逮捕に逃げ出した罪責感と師を喪った悲しみのなかで成立したマルコ福音書は、当初埋葬の場面で終っていたという。弟子たちが死をしのび自分たちの中にその現実を落とし込む喪の作業のためにはそれで十分だった。ほかの福音書が復活や昇天や栄光の物語を付け加えるにしたがって「非悲劇化」されていく過程は、悲しみが薄れるにつれて硬直した教義が成立する過程でもあった。

 

私に触れるな Noli me tangere とはヨハネ福音書だけに現れるエピソードで、空の墓を最初に発見したマグダラのマリアにイエスが語りかけることばである。

 

このことばに福音記者ヨハネマグダラのマリアへの嫉妬を読み取ることは可能だろうか?

最初に空の墓を見つけた女弟子への嫉妬。

常日頃イエスの足を洗ったり身の回りの世話をしていたであろう女性への嫉妬。

 

エスの神性を強調しようとする福音記者ヨハネにとってマグダラのマリアは邪魔者でしかなかったのかもしれない。