空蝉、木乃伊、鯉幟り。
詩人が好んで題材にするのはからっぽなもの、たましいも五臓六腑もぬぎすてた、風の吹き渡る空虚。
解体されるうさぎの目になみだを見、衰微していくバラからぬけだすたましいを見、みずからの魂をメリーゴーラウンドにのせてみつめる。
妻としての母としての平凡な日々をうたった詩の中でさえいつもなにかしら空虚なものへのあこがれがある。
ひらがなの多い文体は読む速さを遅くさせ、白っぽい行間を風が吹く。うつつのあけくれから、ここではないどこかへとびたちたい魂をのせて。
詩人の生涯の閉じ方に、必然的な何かを感じる。
「鯉幟り」という題の短い詩を引用します
いちねんにいちどだけ
こいのぼりになりたく候
あたまのてっぺんからおひれのさきまで
もはやいってきのちもなみだもない
からっぽのわたしのどまんなか
ふきわたるはつなつのあおいかぜ
いちねんにたったいちどだけ
こころすてごぞうろっぷすて
もののみごとからっぽのけしん
こいのぼりになりたく候