Dolcissima Mia Vita

A Thing of Beauty is a Joy Forever

ある日スザンナは

オルランド・ディ・ラッソ Orlando di Lasso「ある日スザンナは」Susanne un jour を聴いていました

 

歌詞はギヨーム・ゲルー Guillaume Guéroult という人によるもので

Susanne un jour d'amour solicitée
par deux viellardz, convoitans sa beauté,
fut en son coeur triste et desconfortée,
voyant l'effort fait à sa chasteté.
Elle leur dict, Si par desloyauté
de ce corps mien vous avez jouissance,
c'est fait de moy. Si je fay resistance,
vous me ferez mourir en deshonneur.
Mais j'aime mieux périr en innocence,
que d'offenser par peché le Seigneur.

試みに訳してみますと

ある日スザンナは、言い寄られた

美人に惚れたふたりの年寄りに。

心乱れて悲しくて、

操を守ろうとして

年寄りにこう言った。もし操をやぶって

わたしの体を楽しむならば

私はもう終わり。抗えば、

不名誉のうちに死なせようとするでしょう。

けれど私は潔白のまま死ぬ方を選ぶ。

主に対して罪を犯すくらいなら。

 

典拠は旧約聖書のなかのダニエル書13章の補遺にある話で、水浴するスザンナを盗み見たふたりの長老が情交をせまり、スザンナが拒絶すると、男と姦淫していたというあらぬ罪で裁判所に訴える。死刑判決が下されたところに預言者ダニエルが現れてスザンナの潔白を主張し、ふたりの長老を別々に聴取したところ、供述に食い違いがあったために無実が証明される、という話です。

歌詞を書いたギヨーム・ゲルーはミシェル・セルヴェ Michel Servet のカルヴァン批判の書『キリスト教復位』Christianismi restitutio の出版にかかわったために投獄されたこともある出版者・翻訳家にして詩人。同時代のラブレーエラスムスなどと同様、古典への造詣が深く、カトリックプロテスタントのせめぎあう17世紀のフランスの宗教的不寛容を生き抜いた。

この「ある日スザンナは」の詩は大評判となったらしく、ラッソのほかにも多くの作曲家(クロード・ル・ジュヌ、フィリップ・デ・モンテ、チプリアーノ・デ・ローレなど)が曲をつけています。

長老からのセクハラに屈するよりは死を選ぶというスザンナの言葉を、宗教的不寛容に屈せず信念を守り抜くこの時代の精神に重ねて読む読み方は近代的すぎるでしょうか。

同じ時期に絵画でもスザンナの主題が流行したのでした。

これはベルナルディーノ・ルイーニ (Bernardino Luini, 1480年/1482年頃 - 1532年)の作品

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もっとも有名なのはアルテミジア・ジェンティレスキ Artemisia Lomi Gentileschi 1593年 - 1652年) の作品でしょう。

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左側が現存する作品、右側はこれにエックス線を照射して下書きを示したもの。苦悶の表情が生々しく、左手にはナイフが握られている。

ルイーニと比べると、同じ題材を扱ってもここまで違うのかと驚かされます。

彼女が画家の修行中に教師である男からレイプされた経験にもとづいて描かれたとのこと。そのような経験がなければここまでの迫真性はありえなかったかもしれない。

好色オヤジはこの時代からいたのですね。ダニエル書のこの挿話を、正典として認めない教派もあるそうですが、男性中心の教会にとっては居心地の悪いお話であることは確かです。カトリックの司祭による性的虐待のニュースはおそらく氷山の一角だと思いますが、男たちはそろそろ偽善者であることをやめなければならないでしょうね。

そういえば、関係ないかもしれないけれど、モーツァルトフィガロの結婚で好色オジサンの伯爵から言い寄られる女性もスザンナでした。