強盗や窃盗の犯人の逮捕を報じる記事で、犯行の動機として決まり文句のように書かれる「遊ぶ金が欲しかった」
ほんとうに、判で押したように、どの犯人も「遊ぶ金が欲しかった」。気味が悪いほどに。
ほんとうにみんな、遊ぶ金が欲しくて金を奪ったのだろうか。
取調官に「遊ぶ金が欲しかったんだろう」と誘導されて、そうじゃないんだけど、ちょっとちがうんだけど、と思いつつ、きちんと説明するのも面倒で、ええ、まあ、そうです、と答えさせられたのかもしれない。
もしかして、ムルソーのように「太陽のせいだ」と言って、ふん、そんなわけないやろ、と嘲笑されて、遊ぶ金が欲しかったと言いなおしさせられたのかもしれない。
遊ぶ金が欲しかったから盗んだと言われれば、読む者はある意味で安心する。それが理解できる動機だから、安心する。
新聞記事は読む者を安心させるためのものである。
理解できない動機は、理解しようともせず、むりやり自分たちの理解できる枠のなかに押し込めて記事を書く。
新聞(もちろんテレビも)が退屈な理由の一つはそこにある。