ジャン・デルヴィル Jean Delville (1867-1953) の名を知ったのは学生のころ、東京で見たベルギー象徴派の展覧会で、フェルナン・クノップフやフェリシアン・ロップスなどとともに、その幻想的で怪異な作風を印象づけられました。
フランスのギュスターヴ・モローの神話的な世界とはまたすこし違う、ある種の超越性を感じさせる。
デルヴィルといえばこれというくらい強い印象を与えるのがこの絵
アメリカ出身でフランス語で詩を書いたスチュワート・メリルの奥さんをえがいたものらしいが、目つきが神がかっていてぞくぞくする。そして謎の三角形の書いてある書物も意味ありげです。
ジョゼファン・ペラダン Joséphin Peladan の薔薇十字サロン Salon de la Rose-Croix にも出品した画家の、象徴主義あるいは神秘主義の代表作といえるかもしれないが、ちょっと近寄りがたくもある。
あまり知られていないもう一枚の絵は、魂のより深いところに触れる作品です。
「母親たち」という題名の、黒衣を着た女たちの絵。その足元には累々と横たわる屍。空には煙か毒ガスか、禍々しい雲。女たちの表情ははっきりわからないが、そのシルエットだけで深い嘆きが伝わる。
1919年(ちょうど100年前ですね)という年代を考えれば、これが第一次世界大戦の惨禍を描いていることがわかります。
デルヴィルの祖国ベルギーは大戦中、中立を守ったにもかかわらずドイツが侵入し、フランスがこれに応戦して激戦場となり、イーペル(オランダ語 Ieper フランス語 Ypres) では世界で初めて大規模に毒ガスが使われた。マスタードガスを意味するイペリット(Yperite)はこの町の名に由来する。
白目をむいて血を吐きながら死んでゆく毒ガスによる悲惨な死は、この大戦に従軍し、若くして戦死した詩人ウィルフレッド・オーウェン Wilfred Owen が書いた詩 Dulce et Decorum Est に忘れがたい形で歌われているとおりです。
これほどの惨禍にもかかわらず、何度も何度もあやまちをくりかえし、100年たってもまだくりかえす人類。
オーウェンの詩の最後の二行はこんな風に終わっています。